福島二本松からのイベント情報です。来月5日が智恵子の命日・「レモンの日」ですので、 それに合わせて智恵子を偲ぶ集いが行われます。
第21回レモン忌
期 日 : 2015年10月4日(日)
時 間 : 9:30 受付開始 15:00 閉会
会 場 : ラポートあだち 二本松市油井字濡石16 0243-23-5250
主 催 : 智恵子の里レモン会
内 容 : 開会セレモニー (献花/献果/光太郎詩朗読 他)
記念講演 『すぎたま』 金田和枝先生(児童文学者)
懇親会 特別出演 テルミン奏者 大西ようこさん
会 費 : 3,000円
問い合わせ : 戸田屋商店 0243-23-4858
記念講演の講師は、二本松在住の児童文学者・金田和枝さん。昭和5年(1930)、東京品川のお生まれで、戦時に疎開で二本松に移り住み、長らく小学校の先生をなさっていた方です。地元福島の出版社・歴史春秋社から『智恵子と光太郎 たぐいなき二つの魂の出会い』『ふくしま女の時代』(共著)などの御著書があります。
平成24年(2012)には、智恵子のまち夢くらぶさん主催の「智恵子講座’12」でも講師をなさいましたし、「智恵子純愛通り記念碑建立祭」などでもご活躍なさっています。このところ、お体のお加減がよろしくなさそうで、レモン忌はしばらくご欠席でしたが、今年は講師を務められるそうで、何よりです。
ちなみに昨年の第20回レモン忌では僭越ながら当方が記念講演をやらせていただきました。そうしましたところ、今回の第21回レモン忌の案内と共に送られてきた、先月発行の『レモン会報』第23号に、その模様を大きく取り上げて下さいました。
また、今年4月に十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんで刊行された『十和田湖乙女の像のものがたり』や、同じく今年の5月15日、花巻高村山荘で行われた第58回高村祭などについてもご紹介下さっています。
それから、中村屋サロンを形作った若き芸術家の一人で、彫刻家の鶴田吾郎が記録した同じく彫刻家の中原悌二郎の談話の中に、智恵子が登場するという記事が載っていました。それによれば、太平洋画会研究所のメンバーとして「水母(くらげ)と仇名(あだな)された長沼智恵子」という一節があるそうです。出典は碌山美術館さん刊行の『中原悌二郎集』(昭和63年=1988)だそうです。
智恵子の仇名が「クラゲ」だったというのは当方も存じませんでした。これを読んで思い出したのが、日本女子大学校の先輩で、『青鞜』つながりの平塚らいてうが書き残した智恵子評です。
どちらが先にテニスをやりだしたか、それは忘れましたが、とにかくこのひとの打ち込む球は、まつたく見かけによらない、はげしい、強い球で、ネットすれすれにとんでくるので悩まされました。あんな内気なひと――まるで骨なしの人形のようなおとなしい、しずかなひとのどこからあれほどの力がでるものか、それがわたくしには不思議なのでした。
(『高村光太郎と智恵子』 筑摩書房 昭和34年=1959収録、「高村智恵子さんの印象」より)
「クラゲ」と「骨なしの人形」、似ていると思いませんか?
いずれご紹介しますが、他にも有名どころでは、竹久夢二や熊谷守一の文章にも、ちらっと智恵子が現れる箇所があります。
さて、レモン忌に話を戻しますが、講演の後の懇親会では、テルミン奏者の大西ようこさんが演奏を披露して下さいます。そこに昨日もご紹介したモンデンモモさんが加わってのスペシャルコラボ。楽しみです。大西さんは、昨年、ユニット「Prhymx(ぷらイム)」として「もうひとつの智恵子抄」、ユニット「otoyomi」として「otoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄』」というコンサートをそれぞれ開催され、今年の第59回連翹忌でも演奏して下さいました。大西さんのブログによれば、昨年のコンサートで演奏された清道洋一氏作曲の「智恵子抄」を再演、とのことです。
こうして人の輪が広がって行く状況、実に喜ばしいことだと思います。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月23日
昭和29年(1954)の今日、日記で第五福竜丸事件について言及しました。
「第五福竜丸」は、遠洋マグロ漁船。この年3月1日に、ビキニ環礁での米軍による水爆実験に巻き込まれ、乗組員22名が被曝、約半年後のこの日に、無線長の久保山愛吉が再生不良性貧血のため亡くなりました。遺言は「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」、享年40歳の若さでした。
さて、光太郎日記。
晴、暑、風なし、 午后岡本先生くる、診察、血圧をはかる、二度はかりしが、115度くらゐとの事、かなり低し、今夕死んだ水爆患者、久保山氏は85度とのこと、 平熱、 コーンビーフののこりにて夕食、 <便>
久保山氏の死去は、広島・長崎につぐ第三の被曝死者ということで、当時はショッキングに報道されました。まさしく「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」、その通りですね。
ちなみにコーンビーフは前日に当会顧問の北川太一先生が送り届けたものです。