光太郎の父にして明治彫刻界の頂点に立った高村光雲関連の情報です。
近代の工芸と彫刻 -館蔵品より小品を中心に-
時 間 : 9:00~17:00 年中無休
料 金 : 一般 1,200円(1,000円) 高校生700円(500円) ( )内は団体料金 中学生以下無料
出品作品
作品名 作者 形状 時代
色絵お伽人形 伊東陶山(初代) 陶磁 明治後期~大正(20世紀)
色絵鳳凰形香炉 伊東陶山(二代) 陶磁 大正(20世紀)
寿老人置物 伊東陶山(二代) 陶磁 大正(20世紀)
染付色絵葡萄文花瓶 伊東陶山(三代) 陶磁 第4回新文展出品(昭和16年)
青磁獅子鈕香炉 諏訪素山 陶磁 大正(20世紀)
染付寒山拾得四方皿 河村蜻山 陶磁 昭和初期(20世紀)
染付更紗文八角花瓶 河村喜太郎 陶磁 昭和初期(20世紀)
青磁浮菊文花瓶 宮永東山 陶磁 第15回帝展出品(昭和9年)
白磁龍鈕香炉 道林俊正 陶磁 昭和初期(20世紀)
青磁獅子鈕丸形香炉 楠部彌一 陶磁 昭和初期(20世紀)
瑞花文花瓶 伊東陶山(初代) 陶磁 明治後期~大正(20世紀)
漆器奔放屏風 山崎覚太郎 漆工 第2回新文展出品(昭和13年)
乾漆盛器 山永光甫 漆工 第3回新文展出品(昭和14年)
花蝶文宝珠形蓋物 井田宣秋 金工 昭和前期(20世紀)
青銅香炉 香取正彦 金工 昭和前期(20世紀)
朧銀魚文花瓶 渡邉紫鳳 金工 第12回帝展出品(昭和6年)
黄銅胡桃鉢 西村英夫 金工 第14回帝展出品(昭和8年)
鎚起黄銅手爐 藤本長邦 金工 文展鑑査展出品(昭和11年)
猿 加藤宗巌 金工 第6回日展出品(昭和38年)
糸織姫 高村光雲 木彫 昭和前期(20世紀)
鏡 平櫛田中 木彫 昭和前期(20世紀)
某氏立像 朝倉文夫 ブロンズ 昭和前期(20世紀)
色絵お伽人形 伊東陶山(初代) 陶磁 明治後期~大正(20世紀)
色絵鳳凰形香炉 伊東陶山(二代) 陶磁 大正(20世紀)
寿老人置物 伊東陶山(二代) 陶磁 大正(20世紀)
染付色絵葡萄文花瓶 伊東陶山(三代) 陶磁 第4回新文展出品(昭和16年)
青磁獅子鈕香炉 諏訪素山 陶磁 大正(20世紀)
染付寒山拾得四方皿 河村蜻山 陶磁 昭和初期(20世紀)
染付更紗文八角花瓶 河村喜太郎 陶磁 昭和初期(20世紀)
青磁浮菊文花瓶 宮永東山 陶磁 第15回帝展出品(昭和9年)
白磁龍鈕香炉 道林俊正 陶磁 昭和初期(20世紀)
青磁獅子鈕丸形香炉 楠部彌一 陶磁 昭和初期(20世紀)
瑞花文花瓶 伊東陶山(初代) 陶磁 明治後期~大正(20世紀)
漆器奔放屏風 山崎覚太郎 漆工 第2回新文展出品(昭和13年)
乾漆盛器 山永光甫 漆工 第3回新文展出品(昭和14年)
花蝶文宝珠形蓋物 井田宣秋 金工 昭和前期(20世紀)
青銅香炉 香取正彦 金工 昭和前期(20世紀)
朧銀魚文花瓶 渡邉紫鳳 金工 第12回帝展出品(昭和6年)
黄銅胡桃鉢 西村英夫 金工 第14回帝展出品(昭和8年)
鎚起黄銅手爐 藤本長邦 金工 文展鑑査展出品(昭和11年)
猿 加藤宗巌 金工 第6回日展出品(昭和38年)
糸織姫 高村光雲 木彫 昭和前期(20世紀)
鏡 平櫛田中 木彫 昭和前期(20世紀)
某氏立像 朝倉文夫 ブロンズ 昭和前期(20世紀)
耕三寺博物館さんは、潮聲山耕三寺にある宝物館的な博物館です。「近代の工芸と彫刻 -館蔵品より小品を中心にー」は企画展、というわけではなく(さりとて常設、という扱いでもないようですが)、しばらくはこの展示が続くということで、上記に期間は掲載しませんでした。
光雲作品「糸織姫」が展示されていますが、これは平成14年(2002)に三重県立美術館、茨城県立近代美術館、千葉市立美術館と巡回した「高村光雲とその時代展」にも出品されました。また、同展にはやはり耕三寺博物館さん所蔵の「阿弥陀如来坐像」も出品されました。
他にも光雲高弟の一人、平櫛田中の作品なども展示されています。
もう1件。過日、このブログで、今月19日開催の「シンワアートオークション近代美術/木梨憲武」に、光雲作の「木彫魚藍観世音」が出品されることをご紹介しました。その後、公式サイトに追加情報がアップされ、さらに光雲作の「郭子儀」も出品されるとの情報を得ました。
郭子儀は中国唐代の武将。長寿だったため、古来、画題によく取り上げられていました。
光雲関連では、高野山金剛峯寺の開創1200年記念に関し、新たな情報もあります。また折を見てご紹介いたします。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月15日
大正8年(1919)の今日、信濃善光寺で光雲と米原雲海の合作による仁王像の開眼供養が行われました。
明治24年(1891)の大火で焼失した仁王像に代わる新しく作られ、阿形・吽形、ともに高さ一丈六尺、いわゆる「丈六」です。あまりに巨大すぎて、東京から長野までの運搬のため、特別に無蓋貨車をあつらえたという話も伝わっています。