新刊情報です。
人と社会の核心にある問題へ向けて、深く垂鉛をおろして考えつづけた思想家の全貌と軌跡。
第10巻には、『言語にとって美とはなにか』から分岐派生した二つの原理的な考察『心的現象論序説』『共同幻想論』と、春秋社版『高村光太郎選集』の解題として書き継がれた光太郎論を収録する。第7回配本。
月報は、芹沢俊介氏・ハルノ宵子氏が執筆!
【目次】
Ⅰ
心的現象論序説
はしがき
Ⅰ心的世界の叙述 Ⅱ心的世界をどうとらえるか
心的現象論序説
はしがき
Ⅰ心的世界の叙述 Ⅱ心的世界をどうとらえるか
Ⅲ心的世界の動態化 Ⅳ心的現象としての感情
Ⅴ 心的現象としての発語および失語
Ⅵ心的現象としての夢 Ⅶ心像論
あとがき 全著作集のためのあとがき 角川文庫版のためのあとがき 索引
Ⅴ 心的現象としての発語および失語
Ⅵ心的現象としての夢 Ⅶ心像論
あとがき 全著作集のためのあとがき 角川文庫版のためのあとがき 索引
共同幻想論
角川文庫版のための序 全著作集のための序 序
禁制論 憑人論 巫覡論 巫女論 他界論 祭儀論 母制論 対幻想論 罪責論 規範論 起源論 後記
角川文庫版のための序 全著作集のための序 序
禁制論 憑人論 巫覡論 巫女論 他界論 祭儀論 母制論 対幻想論 罪責論 規範論 起源論 後記
Ⅱ
春秋社版『高村光太郎選集』解題
一 端緒の問題
二 〈自然〉の位置
三 成熟について
四 崩壊の様式について
五 二代の回顧について
六 高村光太郎と水野葉舟――その相互代位の関係
七 彫刻のわからなさ
一 端緒の問題
二 〈自然〉の位置
三 成熟について
四 崩壊の様式について
五 二代の回顧について
六 高村光太郎と水野葉舟――その相互代位の関係
七 彫刻のわからなさ
解題〈間宮幹彦〉
昨年から刊行が始まった晶文社版『吉本隆明全集』の第7回配本です。既刊の第5巻、第7巻、第4巻でも光太郎に触れられていましたが、今回は昭和56年(1981)から翌年にかけて春秋社さんから刊行された『高村光太郎選集』の月報に載った文章が掲載されています。
また、分量は少ないのですが、6月に刊行された第9巻にも、「高村光太郎私誌」という文章が掲載されています。
近代主義/反近代主義の二者択一的思考停止をこえる創造的近代
右翼/左翼、保守/進歩の図式ではつかめない日本近代化問題の核心。模倣的近代でも反動的保守でもない創造的近代の思想が現在の闇を照らす。
西田幾多郎/三木清/岸田劉生/高村光太郎/野上豊一郎/山田孝雄/九鬼周造/田辺元
●書肆心水創業十年記念出版
西田幾多郎……新しいロジックを求めて/ヒューマニズムの行き詰まりから新しい人間へ/歴史的生命の世界
三木清……東亜協同体と近代的世界主義/東洋文化と西洋文化
岸田劉生……近代の誘惑を卒業した誇りと孤独/今日の悪趣味的時代に処する道/東洋の「卑近美」
高村光太郎……美と生命/日本美の源泉
野上豊一郎……能の物狂い/能の写実主義と様式化
山田孝雄……「は」と係助詞/西洋化日本における文法学の困難/日本の文字の歴史学/日本の敬語と文法
九鬼周造……偶然と運命/偶然と運命
田辺元……常識・科学・哲学――東洋思想と西洋思想との実践的媒介
こちらは光太郎自身の文筆作品を含むものです。
光太郎には「美と生命」という題名の作品は無いはずなのですが、同じ書肆心水さんが、平成22年(2010)に光太郎の評論を2冊にまとめ、『高村光太郎秀作批評文集 美と生命』として刊行していますので、そちらからさらにピックアップしての掲載ではないかと思われます。
「日本美の源泉」は、昭和17年(1942)、『婦人公論』に6回にわたって連載されたもの。当時の同誌編集者・栗本和夫が和綴じに仕立てて保管していたその草稿が、昭和47年(1972)、中央公論社からそのまま覆刻、刊行されています。
光太郎の前後に配されている岸田劉生、野上豊一郎は、ともに光太郎と交流の深かった人物。併せて読むのもいいでしょう。
思潮社 2015年8月 定価1,300円+税
私と史のはるかなる旅路
蒼空の一点を
凝っとみつめていると
蒼空は黒みを帯びてくる。
(「蒼空」)
「わたしはかつて北村透谷や近代文学のすぐれた研究者だ、と思っていた平岡さんの魅力の源泉が、ふるさと瀬戸内海の〈塩飽島〉から湧き出る、天然の詩にあることを発見したときの興奮を忘れない」(北川透)。文学史家でもある詩人の、歴史の無惨と交差する生の歩み。代表作『浜辺のうた』『蒼空』全篇、高村光太郎論など円熟の評論も収録。戦後70年、長き沈潜をへて湧き出た詩の水鏡。解説=佐藤泰正、山本哲也、井川博年、陶原葵
「光太郎論」とあって、具体的なところが不明なのですが、かつて至文堂さんから刊行されていた雑誌『国文学解釈と鑑賞』の第41巻第6号(昭和51年=1976)「―特集 高村光太郎その精神と核―」には「国家と天皇と父と」、第63巻第8号(平成10年=1998)「特集 高村光太郎の世界」には「作品の世界『智恵子抄』」という平岡氏の論考が掲載されており、その辺りなのではないかと考えられます。ちがっていたらすみません。
少しずつであっても、光太郎に触れる刊行物がどんどん出るのは好ましいことです。明日もこの続きで行きます。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月12日
昭和28年(1953)の今日、テレビ出演を断りました。
当日の日記の一節です。
ひる青江舜二郎氏くる、門口で、テレビに出てくれとのこと、断り、(略)後刻上山裕次といふテレビの人くる、十五日に松尾邦之助氏と対談してくれとの事、断る、
日本で地上波のテレビ放送が開始されたのが、この年2月です。早速の出演依頼が同じ日に2件あったようですが(もしかすると同一の依頼が人を換えて行われたのかも知れませんが)、いずれも断っています。もし断らずに出演し、さらにその映像が残っていたら、それはそれで貴重な資料となったと思うと、少し残念です。ちなみに光太郎、ラジオには録音で何度か出演していますし、その録音もある程度現存しています。
青江舜二郎は劇作家。松尾邦之助はフランス文学者で、光太郎詩の仏訳なども手がけています。上山裕次という人物については特定できませんでした。