合唱の演奏会情報を2件。それぞれ光太郎作詞の合唱曲がプログラムに入っています。
コール・オービーレン第8回演奏会
曲 目 :
混声合唱組曲「 猛獣篇」 (高村光太郎 作詞/佐藤 敏直 作曲)
宗教曲 「ハレルヤコーラス」 他
映画音楽 「慕情」「シャレード」 他
混声合唱組曲「 猛獣篇」 (高村光太郎 作詞/佐藤 敏直 作曲)
宗教曲 「ハレルヤコーラス」 他
映画音楽 「慕情」「シャレード」 他
<指揮> 山口 大五郎 <ピアノ> 中谷 路子
コール・オービーレンさんというのは、東京大学混声合唱団コール・ユリゼンさんのOB・OGの集まりから出来た混声合唱団だそうです。
プログラムの最初が、佐藤敏直氏作曲の「猛獣篇」。光太郎の同名の連作詩中の詩4篇に曲をつけたものです。元々は昭和63年(1988)、専修大学グリークラブさんの依嘱で男性合唱曲として作曲され、平成2年(1990)にはカワイ出版さんから楽譜も刊行されました。「森のゴリラ」「傷をなめる獅子」「ぼろぼろな駝鳥」「マント狒狒」の4曲でした。
そして、同じく平成2年(1990)から5年(1993)にかけ、南生田コーラスさんの依嘱で混声版が新たに作られています。ただし、総題は同じ「猛獣篇」ですが、曲目は「龍」「象」「傷をなめる獅子」「苛察」。「傷をなめる獅子」は男声版から混声へのアレンジですが、他は新作です。平成22年(2010)にやはりカワイ出版さんから楽譜が出ています。
CDなどの音源としては、まとまった形ではリリースされていないようです。当方、会津高等学校男声合唱団さんの演奏会のライブ録音CDで、男声版の入ったCDを持っていますが、自主制作盤のようです。また、これも自主制作盤的なものだと思いますが、全日本合唱コンクールの東北支部大会ライブ録音のCD。やはり男声版の「傷をなめる獅子」が、同じく会津高校さんの演奏で入っています。
もう1件。
コール・マルシュナー第4回福島演奏会
料 金 : 1,000円 (全席自由)
主 催 : 福島高校在京OB合唱団“コール・マルシュナー”
問い合せ : 042-345-6010 (弥勒 誠之)
問い合せ : 042-345-6010 (弥勒 誠之)
曲 目 :
1.男声合唱組曲「中 勘助の詩から」
2.ロバート・ショウ合唱曲集 ファニータ、おじいさんの時計 他
3.清水脩 作品集 海、智恵子抄巻末のうた六首 他
4.愛唱曲集 早春賦、小さな喫茶店、箱根八里 他
【特別出演】福島高等学校合唱団
1.夜もすがら(「万丈記」より) 2.Os Justi
1.男声合唱組曲「中 勘助の詩から」
2.ロバート・ショウ合唱曲集 ファニータ、おじいさんの時計 他
3.清水脩 作品集 海、智恵子抄巻末のうた六首 他
4.愛唱曲集 早春賦、小さな喫茶店、箱根八里 他
【特別出演】福島高等学校合唱団
1.夜もすがら(「万丈記」より) 2.Os Justi
コール・マルシュナーさんというのは、福島県立福島高校さん在京OBによる男声合唱団だそうです。福島県は「合唱王国」と言われ、県全体のレベルの高さには定評があります。こういう合唱団が存在し、地元福島での演奏会が継続して行われている、というところにもそれが表れているように思います。
曲目の中で、故・清水脩氏作曲の「智恵子抄巻末のうた六首」が光太郎作詞、というより清水氏がそれに曲をつけたものです。昭和39年(1964)、東海メールクワイヤーさんの依嘱作品。当初は男声合唱曲として作られ、のち、昭和57年(1982)には混声合唱にアレンジされた楽譜も刊行されています。
また、本家の東海メールクワイヤーさんをはじめ、東京リーダーターフェルさん、さらに合唱団京都エコーさんと松原混声合唱団さんの合同演奏によるCDがリリースされています。
当方も混声、男声合唱を個人的にやっており、「智恵子抄巻末のうた六首」の男声版は、一度、生演奏で聴きました。当方の属する合唱団も参加した平成24年(2012)の千葉県合唱祭で、船橋HGメンネルコールさんの演奏でした。
こうした光太郎詩にきちんとした曲がつけられ、きちんとした演奏が為される機会がどんどん増えてほしいものです。それによって、光太郎智恵子の世界が広まることを期待します。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月9日
昭和7年(1932)の今日、光太郎の父・光雲が海軍の東郷平八郎元帥と小笠原長生中将に、自作の千手観音像を贈りました。
光雲と小笠原は、光雲に依頼してたくさんの仏像を作ってもらった寺院・駒込の曹洞宗金龍山大圓寺を通じて知り合い、さらに小笠原を介して東郷と光雲の会見が実現しました。その会見が昭和7年(1932)の今日。光雲は東郷と小笠原それぞれに武運長久を祈念して自作の像を贈ったというわけです。
のちに東郷からは「妙神入」の書が返礼として光雲に送られました。光雲の刀技を神業の域と讃えたものと思われます。
以前もご紹介しましたが、下記が昭和7年(1932)の今日、撮影された写真です。
左から大圓寺の服部太元、光雲、東郷平八郎、小笠原長生です。