当方の住む千葉県からの展覧会情報です。

第39回千葉県移動美術館「高村光太郎と房総の海」

千葉県広報紙『ちば県民だより』より

県立美術館の収蔵作品を身近な文化施設でご覧いただくための展覧会です。高村光太郎(たかむらこうたろう)の彫刻や勝浦周辺の海を描いた水彩画・版画、海を題材にした日本画・油彩画など、千葉県ゆかりの作家の作品を展示します。

日   時 : 2015年8月18日(火曜日)~31日(月曜日)9時~17時
会   場 : 勝浦市芸術文化交流センター・キュステ(勝浦市沢倉523-1)
問い合わせ : 県立美術館TEL043-242-8311


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千葉県立美術館サイトより

今回の展覧会では、「高村光太郎と房総の海」をテーマとして、彫刻家高村光太郎の作品6 点と、日本画家若木山の作品4 点を中心に、鵜原や太海といった勝浦周辺の景勝地を描いた作品も展示します。この夏、県立美術館の名品を、潮風の香る海辺の街、勝浦でお楽しみください。

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「高村光太郎」と「房総の海」ということで、光太郎の彫刻が6点、熊本県出身の日本画家・若木山(わかき たかし)の作品などで房総の海を描いたものが展示されます。

光太郎智恵子と千葉県は意外と結びつきが深く、人生の要所要所で千葉を訪れています。大正元年(1912)、智恵子との愛を確かめたのは銚子犬吠埼。大正10年(1921)には与謝野夫妻の新詩社主催の旅行に夫婦で参加。同14年(1925)には夫婦だけで房総の海を旅したことも。さらに成田郊外三里塚には光太郎の親友・水野葉舟が移り住み、光太郎もたびたび訪れました。そして昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が九十九里浜に転地療養しています。

そういう背景があるからなのでしょうか、千葉県立美術館さんでは、光太郎の彫刻を8点所蔵しています。この数字は全国の美術館の中でも多い方です。ちなみに内訳は、全てブロンズで「猪」(明治38年=1905)、「薄命児男児頭部」(同)、「裸婦坐像」(大正6年=1917)、「手」(同7年=1918頃)、「大倉喜八郎の首」(大正15年=1926)、「野兎の首」(昭和20年代)、「十和田湖畔の裸婦群像のための手習作」(昭和27年=1952)、「十和田湖畔の裸婦群像のための中型試作」(同28年=1953)です。ただし、いずれも比較的新しい鋳造です。

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入場無料ですし、ぜひ足をお運びください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 8月8日000

昭和29年(1954)の今日、終焉の地となった中野のアトリエに、岩手疎開中に親交のあった花巻町在住の女性が訪れ、盛岡銘菓「豆銀糖」をお土産にもらいました。

豆銀糖は、水飴、砂糖、青大豆のきな粉を原料に作られる、素朴な味わいのお菓子です。似たものを挙げろ、と言われれば、埼玉・熊谷銘菓の「五家宝」、茨城・水戸銘菓の「吉原殿中」。わかる人にしかわかりませんね(笑)。

光太郎はこれが意外と好物だったようで、書き残したものなどの中に時折現れます。
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岩手はね、その、庶民階級がいいんです。それが僕は好きなんです。だから人によく話すけど、八戸煎餅ですね。それと豆銀糖と。ああいうものに実にいい、うまいものがある。で、殿様が食べるようなものは別にない。
(対談「朝の訪問」昭和24年=1949)

右は今年5月、花巻高村祭の折に、花巻在住の内村義夫さんからいただいた豆銀糖の包み紙です。美味でした。

ちなみに「八戸煎餅」は「南部煎餅」ですね。