1泊2日の青森レポートの最終回です。
7月29日(水)、午前10時過ぎに、岩手花巻から太田地区振興会の皆さん40数名が、大型バス1台でご到着。皆さん、そろいのTシャツに身を包まれていました。背中には光太郎の言葉、「心はいつでもあたらしく」。筆跡も光太郎のそれです。
一行を率いる会長の佐藤定氏は、生前の光太郎をご存じで、秋に福島二本松で行われる智恵子命日の集い「レモン忌」にもご参加下さっています。さらに連翹忌にもご参加下さっているやはり生前の光太郎をご存じの浅沼隆氏、いつもお世話になっている㈶花巻高村光太郎記念会事務局の方々、他にも見知った顔が見えました。
迎えるは十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会さん、十和田湖国立公園協会さん、十和田湖観光婦人部さんの方々です。
早速、観光交流センター「ぷらっと」内で、交流会が始まりました。
主催者として、観光ボランティアの会の小笠原会長のご挨拶。小笠原会長は、蔦温泉売店のご主人もなさっています。さらに歓迎の挨拶、訪問の挨拶など、和気藹々とした雰囲気で進行しました。
当方の講話の時間も取っていただきましたが、短時間でしたので、「ぷらっと」内部の見学の時間を十分に取っていただこうと思い、とりあえずレジュメは作っておいて、「詳しくは後で読んでおいて下さい」的な感じでさっさと切り上げました。
「ぷらっと」内では、昭和28年(1953)の乙女の像除幕式を撮影したフィルムをデジタル化した映像が見られます。また、観光ボランティアの会の方が、今春刊行された書籍、『十和田湖乙女の像のものがたり』に使った古写真等をパネルにしたものをお持ち下さったので、そちらも並べて見ていただきました。皆さん、興味深そうにご覧になっていました。
その後、遊覧船に乗船。船内で昼食。朝方はまだ雨がぱらついていましたが、この頃になるとすっかり晴れました(東北北部もこの日には梅雨明けが宣言されています)。湖上を渡る風が爽快でした。
こちらは船上からの乙女の像です。
下船後、観光ボランティアの会の皆さんに案内していただき、乙女の像へ。大半の方は、初めてではないということでしたが、久しぶり、という方が多かったようです。浅沼さんなどは、50年ぶりとおっしゃっていました。
その後は十和田神社に参拝、さらに土産物購入を兼ねて、十和田湖観光婦人部会長の森田玲子さんのお店などへ。さらに花巻の皆さんは再びバスに乗って、奥入瀬渓流に向かわれました。
当方は十和田湖で花巻の皆さんを見送った後、十和田の一行とも別れ、レンタカーを駆って、新幹線に乗車すべく八戸へ向かいました。
青森の道路も、昔、やはりレンタカーで走った北海道の道路に似ていると思いました。距離感の部分が、です。交差点を曲がり、カーナビが「この先、しばらく道なりです」と言うので、「『しばらく』ってどのくらいだ?」と突っ込みを入れながら画面を見ると、「41.5㎞」だったり、その40㌔以上の間にすれ違った対向車が10台たらずだったり、コンビニが1軒もなかったり……。おかげで予定よりだいぶ早く八戸に着き、先払いだったレンタカーの料金が返ってきました。ラッキーでした。
そうそう、こちらは花巻の方に戴いたお土産です。
花巻にある「パティスリー アンジュ」という洋菓子店の商品です。このお菓子が発売されたことや、お店の大体の場所は存じていましたが、まだ行ったことも買ったこともなかったので、ありがたく思いました。素朴な味のクッキーです。
というわけで、有意義な青森旅行でした。次の遠出は来週末。またまた東北で、宮城は女川に行って参ります。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 8月1日
昭和5年(1930)の今日、光雲が主任となって皇居前広場に建てられた「楠木正成銅像」を額面部分にあしらった官製葉書が発行されました。
当初は額面1銭5厘。その後、デザインや額面金額の改定を経ながら、昭和21年(1946)まで発行されました。
当方、光太郎の自筆葉書を30通ほど持っていますが、そのうちの10通がこの葉書です。下記は昭和17年(1942)、詩人の神保光太郎に宛てたものです。