昨日に引き続き、先週土曜日に行って参りました福島県川内村関連です。
まず、地方紙『福島民友』さんに、天山祭の記事が出ましたのでご紹介します。
「心平さん、川内は元気ですよ」 50回目の“天山祭り”
いわき市出身の詩人草野心平が晩年、毎年のように訪れて滞在し、蔵書も保存されている川内村の「天山文庫」で11日、恒例の天山祭りが開かれた。50回の節目に当たり、村内外から集まった参加者が在りし日の心平をしのんだ。
「蛙(かえる)の詩人」として知られる心平は、村内の平伏(へぶす)沼で繁殖するモリアオガエルを通じ村との交流が始まった。同文庫は、名誉村民となった心平のため村民が協力して1966(昭和41)年に建設し、3000冊を超える蔵書も保存している。
祭りには村民のほか、心平らが創刊した詩の同人誌「歴程」のメンバーや県内外のファンらが出席。歴程メンバーによる心平の代表的な詩の朗読が行われたほか、村の伝統芸能「三匹獅子」や川内甚句などが披露された。祭りの冒頭にあいさつした遠藤雄幸村長は「出会いを後世につなぐことが、われわれの務め。復興に向かう姿を発信しながら、出会いを大切にしていきたい」と語った。
「蛙(かえる)の詩人」として知られる心平は、村内の平伏(へぶす)沼で繁殖するモリアオガエルを通じ村との交流が始まった。同文庫は、名誉村民となった心平のため村民が協力して1966(昭和41)年に建設し、3000冊を超える蔵書も保存している。
祭りには村民のほか、心平らが創刊した詩の同人誌「歴程」のメンバーや県内外のファンらが出席。歴程メンバーによる心平の代表的な詩の朗読が行われたほか、村の伝統芸能「三匹獅子」や川内甚句などが披露された。祭りの冒頭にあいさつした遠藤雄幸村長は「出会いを後世につなぐことが、われわれの務め。復興に向かう姿を発信しながら、出会いを大切にしていきたい」と語った。
その天山祭、そして会場になった天山文庫のすぐ近くにある阿武隈民芸館さんでの企画展「心平が愛したかわうち」を拝観したあと、夕方から打ち上げ的なことがあるので、それまで時間をつぶす必要がありました。
そこで向かったのが、村役場近くにある温泉入浴施設「かわうちの湯」さん。昨年オープンしたばかりのきれいな施設です。
玄関前のロータリー的なところに、何やら石碑が。
さて、館内に入り、ゆっくり温泉を堪能。露天風呂やサウナもあり、いい感じでした。入浴後は大広間の畳で座布団を枕にがっつり昼寝。疲れを癒させていただきました。
その後、打ち上げ会場の小松屋旅館さんへ。秋に行われる心平忌日「かえる忌」の集いでもお邪魔しているところです。築100年ほどの古民家が移築された離れには「蕎麦酒房天山」の看板が掲げられ、こちらが会場です。
看板犬の黒柴くん。
レトロな神棚。心平の肖像画も。
以前にもご紹介しましたが、心平が揮毫した光太郎詩「晩餐」の一節の書。この文字を元に神戸文化ホールさんに光太郎詩碑が建っています。
打ち上げにはいつものメンバーに加え、一橋大学さんで「自然資源経済論」というプロジェクトを立ち上げられた名誉教授の寺西俊一氏など、20名ほどが参加、盛り上がりました。
東日本大震災から5年目に入り、まだまだ復興途上の川内村ですが、少しずつ元気を取り戻しつつあります。訪れるだけでも復興支援。ぜひ足をお運びください。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 7月13日
昭和25年(1950)の今日、花巻郊外太田村から墓標の揮毫を発送しました。
郵便物の授受等を記録した「通信事項」というノートが残されており、その中に以下の記述があります。
佐野悌一氏へ墓の文字封入テカミ(「佐野修三墓」二枚)
この年の日記は失われており、名前の出てくる二人の素性、どういった事情なのか、墓の所在地など、一切不明です。
ネットで調べてみると、厚生労働省のホームページの中に、旧ソ連抑留中に亡くなった方々の名簿が載っており、昭和21年(1946)、イルクーツク地方で亡くなった岩手県出身の「佐野修三」という名が記されていますが、この人物なのかどうか何とも言えません。
「佐野悌一」という人物はネット上ではヒットしません。
今もどこかにひっそりと、光太郎が文字を書いた佐野修三氏の墓標が残っているのでしょうか。情報をお持ちの方は、ご教示いただければ幸いです。
追記:花巻市内で発見しました。
追記:花巻市内で発見しました。