昨日もちらっと触れた、横浜市の神奈川近代文学館さんでのイベントです。ただし、館の主催ではなく、会場を貸してのもののようです。
「朗読の会」発表会「ありのままに」
開催日 : 2015年7月17日(金)
時 間 : 13:30
会 場 : 神奈川近代文学館 横浜市中区山手町110
出演者 : 「朗読の会」A・Bグループ18名
料 金 : 無料
演 目 : 高村光太郎「智恵子抄」、工藤直子「ねこはしる」
時 間 : 13:30
会 場 : 神奈川近代文学館 横浜市中区山手町110
出演者 : 「朗読の会」A・Bグループ18名
料 金 : 無料
演 目 : 高村光太郎「智恵子抄」、工藤直子「ねこはしる」
『智恵子抄』 朗読 Aグループ
高村光太郎「智恵子抄」より 佐藤春夫「小説智恵子抄」より
草野心平「悲しみは光と化す」より 宮崎春子 「紙絵のおもいで」より
『ねこはしる』 朗読 Bグループ
問い合わせ : 「朗読の会」八尾 045-774-6519
高村光太郎「智恵子抄」より 佐藤春夫「小説智恵子抄」より
草野心平「悲しみは光と化す」より 宮崎春子 「紙絵のおもいで」より
『ねこはしる』 朗読 Bグループ
問い合わせ : 「朗読の会」八尾 045-774-6519
調べてみたところ、「朗読の会」さんは、「かたりよみ研究所 創造の会」さんという団体の中のグループで、横浜で定期的に練習や発表などの活動をなさっているようです。講師は児玉朗氏、西本朝子氏ご夫妻で、木下順二作の舞台「夕鶴」で有名な山本安英の弟子筋に当たる方々だそうです。
演目のうち、佐藤春夫の「小説智恵子抄」は、光太郎が歿した昭和31年(1956)から翌年にかけ、光太郎と親交の深かった佐藤春夫が雑誌『新女苑』に連載したジュブナイルです。連載当時のタイトルは「愛の頌歌(ほめうた) 小説智恵子抄」。昭和32年(1957)に実業之日本社で単行本化、のち、角川文庫のラインナップに入りました。文庫版の解説は草野心平です。
その草野心平の「悲しみは光と化す」は、新潮文庫版『智恵子抄』(昭和31年=1956)の解説として書かれたものです。光太郎が昭和28年(1953)に書いた秩父宮雍仁親王の追悼文の題名をそのまま転用しています。
宮崎春子は旧姓長沼春子。智恵子の姪で、看護師の資格を持ち、南品川のゼームス坂病院でその最期を看取りました。ほとんど唯一、紙絵の制作過程を実見し、それを語ったのが「紙絵のおもいで」です。
紙絵を見る春子(昭和30年=1955)
さて、多くの皆さんが光太郎作品、特に「智恵子抄」系の朗読に取り組んで下さっています。ありがとうございます。そうした動きが下火になることなく、さらにもっともっと広がってほしいものです。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 7月10日
明治43年(1910)の今日、雑誌『方寸』第4巻第5号に、「死んだ荻原守衛君」が掲載されました。
光太郎の盟友、碌山荻原守衛の死はこの年4月20日でした。
僕は今、死んだ荻原守衛君の芸術のことを考へてゐる。しかし、どうしても一つの纏まつた、形を成した、過ぎ去つた作家として荻原君の事が頭に出て来ない。善い夢を見てゐる途中で眼がさめた、その先きが思はれてならないといふ感じである。
と始まり、終わり近くには、
それがふつと消えたのである。為方がないといふ言葉は実に惨酷な言葉である。
とあります。
この文章は同じ年9月の雑誌『日本美術』第139号、翌年に刊行された守衛の著作集『彫刻真髄』にも転載されました。