4月に小学館さんから刊行された石川拓治氏著『新宿ベル・エポック』。
相馬愛藏・黒光夫妻、碌山荻原守衛を軸に、昨日もご紹介した新宿中村屋サロン美術館さんの元となった、「中村屋サロン」を巡る人々の光芒を追った労作です。
先週の『朝日新聞』さんの読書面に、書評が載りましたのでご紹介します。
新宿ベル・エポック―芸術と食を生んだ中村屋サロン [著]石川拓治
■異文化接合点で濃密な人間模様
母の勤務地が新宿だったので、子どもの時分、たまに中村屋のカレーを食べに連れて行ってもらった。うちは貧しかったから、それはたいへんなご馳走(ちそう)だった。本書はその中村屋の物語。創業者夫婦の相馬愛蔵・黒光(こっこう)と、夫妻を慕って集まった芸術家たち、なかでも彫刻家の荻原碌山(ろくざん)が織りなす人間模様を記す。
愛蔵と碌山は同郷で、信州安曇野の人。地域一の名家・相馬家に仙台藩の上士の家から嫁がくる。農家の五男坊だった碌山少年は、彼女を憧れのまなざしで見つめていた。話はそこから始まる。
三人は互いを大切に思い、認め合った。それは三角関係という言葉でひとくくりにできるものではない。彼らの濃密な連関の向こうには、百年ほど前の、外国に向きあう日本社会の姿が見えてくる。
中村屋サロンは異文化の接合点であった。インドの志士ボースのカレーも、ロダンに学んだ碌山の彫刻もその好例である。相馬夫妻は新しい文化の揺り籠を用意したのだ。
◇
小学館・1944円
愛蔵と碌山は同郷で、信州安曇野の人。地域一の名家・相馬家に仙台藩の上士の家から嫁がくる。農家の五男坊だった碌山少年は、彼女を憧れのまなざしで見つめていた。話はそこから始まる。
三人は互いを大切に思い、認め合った。それは三角関係という言葉でひとくくりにできるものではない。彼らの濃密な連関の向こうには、百年ほど前の、外国に向きあう日本社会の姿が見えてくる。
中村屋サロンは異文化の接合点であった。インドの志士ボースのカレーも、ロダンに学んだ碌山の彫刻もその好例である。相馬夫妻は新しい文化の揺り籠を用意したのだ。
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小学館・1944円
[評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 7月7日
昭和26年(1951)の今日、勝手に講演会の講師として報道に名前を挙げられて憤慨しました。
この日の日記の余白メモです。
承諾無きうちに講演などと発表すること岩手の習慣らし、かかる時余は出席せず。
前日の日記には、
七日に太田校にて演講と新聞に出た由、無茶也
とあります。「講演」とすべきところが「演講」となっているのは、怒りに我を忘れていたためでしょうか。
翌年には同じようなケースでブッキングまで起こっています。