今日は東京池袋にて、東京精神科病院協会「心のアート展 創る・観る・感じる パッション――受苦・情念との稀有な出逢い」を観て参りました。
会場は池袋駅西口の東京芸術劇場。昨秋開催された、書家の金子大蔵氏の個展「近代詩文書の可能性をを探る(高村光太郎の詩を書く)」と同じ場所でした。
展示のメインは東京精神科病院協会加盟の病院で治療を受けられている方々を中心とする公募作品です。
今日は午後1時からギャラリートークということで、全員ではありませんが、出品者の方が自作の解説などをしたりなさっていました。
漫画家の吾妻ひでお氏も作品(漫画の生原稿、オブジェ)を出品、トークにもご参加。氏はアルコール中毒での治療経験があるそうです。
会場の一角に、「特集展示 高村智恵子」。
紙絵の複製20数点、智恵子の自筆書簡2通、智恵子と光太郎の文筆作品の掲載誌、詩碑の拓本や光太郎肉筆揮毫などが並んでいました。
紙絵の複製は写真家だった故・高村規撮影の写真をもとに作られたもので、複製でありながらかなり立体感が感じられるものです。
光太郎の散文「智恵子の切抜絵」(昭和14年=1939)や、ほとんど唯一、智恵子紙絵の制作現場を見た姪で看護師の長沼(のち宮崎)春子の回想などが抜粋されてパネルになっており、来場の皆さん、興味深そうにご覧になっていました。
パネルといえば、この展覧会のために書き下ろされた当会顧問北川太一先生の玉稿「智恵子の場合」も。図録にも収録されています。
こちらが智恵子書簡。
上は大正2年(1913)、光太郎との上高地婚前旅行のため、二本松の実家に滞在費用を無心する書簡です。封筒が実家の長沼酒店の文字入りというのを初めて知りました。
下は翌大正4年(1915)、前年暮れの上野精養軒での結婚披露の後、二人をとりもった柳敬助夫人八重に送った披露宴参加の礼状です。
だいぶ前に北川先生のお宅で拝見したことがありますが、やはり感慨深いものがあります。流麗な筆跡、保存状態も良く、100年以上経過しているとは思えません。
こちらは光太郎智恵子の文筆作品などの掲載誌。
さらに図録(1500円)です。
現代の皆さんの作品と併せ、人間の「表現」に対する欲求のありかた、みたいなことを考えさせられる展覧会でした。
外界に向かって、何かを表現せずには居られないのが人間だと思います。それが造形芸術の形を取ったり、文筆作品の形を取ったり、はたまた音楽でそれが表現されたり、または身体を使ってのパフォーマンス、そう考えるとスポーツもそういう面があるかも知れません。
そうした行為を通し、自己表現、さらには自分の中でバランスを取ることにもつながるのではないか、などと思いながらこの展覧会を拝見しました。
会期は短くて残念ですが、明日(6/21・日曜日)まで。明日も13:00~ギャラリートークが催されます。入場は無料。ぜひ足をお運び下さい。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 6月20日
昭和57年(1982)の今日、桜楓社から潟沼誠二著 『高村光太郎におけるアメリカ』 が刊行されました。
明治39年(1906)から3年余り、光太郎はアメリカ、イギリス、フランスに留学しました。さらにその最後の頃にはスイス経由でイタリア旅行も。
その中で、一番長く滞在していたのはアメリカ・ニューヨークです。
光太郎の留学というと、パリでの体験が大きく取り上げられますが、やはり一番長く滞在していたアメリカでの体験も見過ごせない、ということで書かれたのが本書です。
表紙はアメリカの観光案内でよく使われるマウント・ラッシュモアの巨大彫刻。ワシントン、リンカーン、ジェファーソン、ルーズベルトという4人の大統領の肖像です。この作者のガットソン・ボーグラムに光太郎は師事しました。