現在、武蔵野美術大学美術館さんで開催中の「近代日本彫刻展」の図録が届きました。

先月末、観に行ってきたのですが、その際は図録がまだできていないということで、郵送していただくよう手続きをしておいたものです。表紙は光太郎の木彫「白文鳥」。

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英国のヘンリー・ムーア・インスティテュートとの共同開催で、今年1月から4月までは英国リーズでの開催でした。そこで、半分は英文です。しかし、邦訳も付いているので助かりました。

英国の研究者3名による対談が、非常に興味深く感じられました。3名は、ヘンリー・ムーア・インスティテュート館長のリサ・ルファーブル氏、同館学芸員のソフィー・ライケス氏、そしてロンドン大学教授のエドワード・アーリントン氏。

目から鱗だったのが、西洋諸国には今回出品されているような、動物をモチーフにした小品の彫刻が存在しない、というくだりでした。あちらでは「彫刻」というと偉人などの肖像や人体が基本。動物彫刻もあるにはあっても、ライオンなどの比較的大きな物ばかりだというのです。

ちなみに今回の出品作は、以下の通り。

・「手」 高村光太郎 大正7年(1918) 頃 ブロンズ、木彫(台座部分)
・「白文鳥」 高村光太郎 昭和6年(1931)頃 木彫
・「冬眠」 佐藤朝山  昭和3年(1928) 木彫
・「石に就て」 橋本平八 昭和3年(1928) 木彫/「石に就て」 の原型となった石
・「干物(めざし)」「静物(干物)」「静物(カタクチイワシ)」「静物(豆)」
 「静物(骸)」  横田七郎 昭和3年(1928)~同4年(1929) 木彫
・「蘭者待 模刻」 森川杜園 明治7年(1873) 木彫

さらに英国展では、以下が出品されていました。

・「海老」 水谷鉄也 大正15年(1926) 木彫
・「海幸」 宮本理三郎 制作年不明 木彫

このうち、題名でわかりにくい佐藤朝山の「冬眠」がガマガエル、横田七郎の「静物(骸)」は小鳥の死骸、森川杜園の「蘭奢待 模刻」は正倉院収蔵の香木、宮本理三郎の「海幸」は魚の干物です。

西洋では、こうしたものが彫刻のモチーフになることがない、日本人は「自然」全体からモチーフを採っている、というわけです。


また、唯一、人体をモチーフにした光太郎のブロンズの「手」も、台座の木彫部分とのコラボレーションに、非常に特異なものを感じているようです。


曰く、007

この台は作品の奥深くまで伸びており、作品を直立させています。しかし、手を取り去って台座自身を見てみると、思いがけず素晴らしいものを目にします。(略)台座はそれ自体彫刻なのです。(略)この台は生長する、生きているもののように思われ、木の枝や根あるいは幹に似ています。そして、この有機的な木の土台からブロンズの手が生えているように思えるのです。(ヘンリー・ムーア・インスティテュート学芸員ソフィー・ライケス氏)

図録には、ブロンズ部分を取り去った台座のみの写真も掲載されています。

当方、この状態の実物はまだ見たことがありませんが、いずれそういう機会もあるかと期待はしています。


それから、日本人研究者による論考3本も、なかなかに読みごたえがありました。小平市立平櫛田中彫刻美術館学芸員・藤井明氏の「展示作品の作家について:歴史背景と経歴」、武蔵野美術大学彫刻科教授の黒川弘毅氏による「媒体と素材:リアリズムについての考えの差異」、大分大学教育福祉学部教授の田中修二氏で「日本彫刻への視点:1910年代~1930年代における彫刻家の社会的背景」。


さらに、英国人研究者の論考2本からも彼我の彫刻に対する認識の違いが見て取れます。一例を挙げれば、西洋では「共箱」という概念もないということ。今回、武蔵野美術大学美術館さんでの展示では、光太郎の「白文鳥」の共箱が並んでいましたが、意味もなく並べてあったのではなかったわけです。


その他、近代日本の彫刻史についても随所で触れられ、光雲や荻原守衛などについても記述があります。展示作品以外の図版も豊富。お買い得です。

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武蔵野美術大学美術館さんでの展示は8月16日まで。ただし、「手」が2つ並ぶのは今月20日までです。ぜひ足をお運びいただき、図録もご購入ください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 6月9日

昭和47年(1972)の今日、この月2日に亡くなった、光太郎の実弟にして鋳金の人間国宝・豊周に、追善のため従四位銀杯一個が贈られました。