昨日の「日曜美術館 一刀に命を込める 彫刻家・高村光雲」を受けて、光雲彫刻作品が見られる機会をご紹介します。 

まずは光雲が教授を務めていた東京美術学校と縁の深い法隆寺での展観です。既に始まって久しいのですが、今月いっぱい開催されています。

平成二十七年度春季法隆寺秘宝展 ―至宝の世界―

場  所 : 法隆寺大宝蔵殿 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1の1
期  間 : 2015年3月20日(金)~6月30日(火) (無休)
時  間 : 午前9時~午後4時
料  金 : 一般(中学生以上)500円  小学生250円

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公式サイトより
平成13年春、聖徳太子1380年御聖諱を記念して、毎年、春と秋に特別公開「法隆寺秘宝展」を開催させていただくこととなり、本年で15回目となりました。 
今回は飛鳥・奈良時代の至宝をはじめとして、法隆寺において展開された信仰とともに伝存した数々の宝物に加え、大正十年(1921)の聖徳太子1300年御忌法要に際して、制作奉納された中村不折筆の西園院客殿の襖絵や、東京美術学校(現在の東京藝術大学)教授でもあった高村光雲をはじめとする彫刻家によって刻まれた行道面なども、展示させていただきました。
ゆっくりとご鑑賞いただければと存じます。

光雲作品は大正10年(1921)作「行動面 綱引」。伎楽・舞楽系のものかと思いますが、すみません、よくわかりません。同じ種類の「行動面」は、光雲以外に門下の錚々たるメンバーが手がけています。米原雲海、平櫛田中、山崎朝雲、加藤景雲、山本瑞雲などなど。


続いて昨日の「日曜美術館」でも詳しく取り上げられていた重要文化財の「老猿」。東京国立博物館の所蔵ですが、明日から蔵出しです。光太郎のブロンズ「老人の首」も並びます。 

近代の美術

場  所 : 東京国立博物館 本館 18室  東京都台東区上野公園13-9
期  間 : 2015年6月2日(火)~7月12日(日) (月曜休館)
時  間 : 9:30~17:00
料  金 : 一般620円、大学生410円

公式サイトより
明治・大正の絵画や彫刻、工芸を中心に展示します。明治5年(1872)の文部省博覧会を創立・開館のときとする当館は、万国博覧会への出品作や帝室技芸 員の作品、岡倉天心が在籍していた関係から日本美術院の作家の代表作など、日本美術の近代化を考える上で重要な意味を持つ作品を数多く所蔵しています。こ れらによって明治、大正、そして昭和の戦前にかけての日本近代の美術を概観します。
日本画は、水鳥など水景をとらえた作品や梅雨の季節に因んだものを展示します。洋画は、明治期における日本の風景をとりあげた作品を中心にご覧いただきます。彫刻は写実表現の際立つ高村光雲の老猿とともに、個人の内面感情まで表現された光雲の子光太郎の老人の首などを展示します。工芸は、明治26年(1893)にアメリカで開催されたシカゴ・コロンブス世界博覧会に出品された作品を中心に、明治時代後半における工芸の諸相をご覧いただきます。

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館のサイトでは7月12日(日)までとなっていますが、「日曜美術館」では8月23日(日)までとなっていました。とりあえず7月12日でいったん区切られ、やはり人気のある作品なので、その後も「老猿」は続けて展示されるということでしょうか。


さらに、こちらも昨日の「日曜美術館」でも詳しく取り上げられていた、高野山金剛峯寺金堂の秘仏・薬師如来。春の御開帳は先月21日で終わりましたが、秋の御開帳があります。

高野山金堂御本尊特別開帳

場  所 : 高野山金剛峯寺 和歌山県伊都郡高野町高野山132
期  間 : 2015年10月4日(日)~11月1日(日)

838年に「高野山の総本堂」として建立され、開創当時は「講堂」と呼ばれていました。現在の金堂は、度重なる火災に見舞われ、7度目に再建されたもので昭和9年に完成したものです。内部には仏師・高村光雲氏により作られた御本尊・薬師如来がおまつりされています。

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こちらはまた近くなりましたら詳しくご紹介します。


現存する光雲作品は数が多く、その他にもぽつりぽつりと各地で展示されています。先月まで奈良でもそういった機会があったのですが、詳細が不明なものはなかなか紹介しにくいところです。電話で問い合わせても要領を得ない場合があります。そこで、主催者の皆さん、ネット等にはできるだけ詳しく情報を載せていただきたいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 6月1日

大正2年(1913)の今日、雑誌『詩歌』第3巻第6号に詩「人類の泉」を発表しました。

智恵子への愛を高らかに謳う、『智恵子抄』前期の傑作の一つです。


人類の泉

世界がわかわかしい緑になつて007
青い雨がまた降つて来ます
この雨の音が
むらがり起る生物のいのちのあらはれとなつて
いつも私を堪らなくおびやかすのです
そして私のいきり立つ魂は
私を乗り超え私を脱(のが)れて
づんづんと私を作つてゆくのです
いま死んで いま生まれるのです
二時が三時になり
青葉のさきから又も若葉の萠え出すやうに
今日もこの魂の加速度を
自分ながら胸一ぱいに感じてゐました
そして極度の静寂をたもつて
ぢつと坐つてゐました
自然と涙が流れ
抱きしめる様にあなたを思ひつめてゐました
あなたは本当に私の半身です
あなたが一番たしかに私の信を握り
あなたこそ私の肉身の痛烈を奥底から分つのです
私にはあなたがある
あなたがある
私はかなり残酷に人間の孤独を味つて来たのです
おそろしい自棄の境にまで飛び込んだのをあなたは知つて居ます
私の生(いのち)を根から見てくれるのは
私を全部に解してくれるのは007 (2)
ただあなたです
私は自分のゆく道の開路者(ピオニエエ)です
私の正しさは草木の正しさです
ああ あなたは其を生きた眼で見てくれるのです
もとよりあなたはあなたのいのちを持つてゐます
あなたは海水の流動する力を持つてゐます
あなたが私にある事は
微笑が私にある事です
あなたによつて私の生(いのち)は複雑になり 豊富になります
そして孤独を知りつつ 孤独を感じないのです
私は今生きてゐる社会で
もう萬人の通る通路から数歩自分の路に踏み込みました
もう共に手を取る友達はありません
ただ互に或る部分を了解し合ふ友達があるのみです
私はこの孤独を悲しまなくなりました
此は自然であり 又必然であるのですから
そしてこの孤独に満足さへしようとするのです
けれども
私にあなたが無いとしたら――
ああ それは想像も出来ません
想像するのも愚かです
私にはあなたがある
あなたがある
そしてあなたの内には大きな愛の世界があります
私は人から離れて孤独になりながら
あなたを通じて再び人類の生きた気息(きそく)に接します
ヒユウマニテイの中に活躍します
すべてから脱却して
ただあなたに向ふのです
深いとほい人類の泉に肌をひたすのです
あなたは私の為めに生まれたのだ
私にはあなたがある
あなたがある あなたがある

ただし、よく読むと、すでに後の大いなる悲劇――智恵子の統合失調症の発症――につながる要因が見て取れます。

「私は今生きてゐる社会で/もう萬人の通る通路から数歩自分の路に踏み込みました/もう共に手を取る友達はありません/ただ互に或る部分を了解し合ふ友達があるのみです/私はこの孤独を悲しまなくなりました/此は自然であり 又必然であるのですから/そしてこの孤独に満足さへしようとするのです」

のちに光太郎自身、こうした生活を「智恵子と私とただ二人で/人に知られぬ生活を戦ひつつ/都会のまんなかに蟄居した。」 (「美に生きる」 昭和22年=1947)と語っています。光太郎にとってはそれでよくても、智恵子にとってどうだったのでしょうか。

また、終末部分、光太郎は「あなたは私の為めに生まれたのだ」とは謳っていますが、「私はあなたの為めに生まれたのだ」とは謳いません。あくまで「私」が中心なのです。

まぁ、こういったことは後になってから言えることですが。