一昨日の『東京新聞』さんの一面コラムです。
筆洗
彫刻家の高村光雲はカツオの刺し身をある時から還暦になるまでぷっつりと口にするのをやめた。こんな理由がある▼師匠の家で奉公していた時、食事にカツオの刺し身が出たが、若い光雲には満足できる量ではなかった。師匠の分が台所にある。光雲は大根で猫の足跡の印形を彫り、判子(はんこ)のようにあちこちに押した。猫の犯行に見せ掛けて、師匠の分を平らげた▼気の毒なのは裏長屋の無実の猫で、師匠の妹さんに捕まり、ひどいお仕置きを受けた。「それ以来、無実の罪を得て成敗を受けた猫のために謝罪する心持ちで鰹(かつお)の刺身だけは口に上さぬように心掛け」ていたとは殊勝だが、若き日は、カツオの刺し身の魅力に勝てなかったか▼カツオではなく、豚肉である。六月中旬から食中毒防止のため飲食店などで生レバーや生肉を提供できなくなる。豚の生肉を食した経験はないが、がっかりしている人もいるだろう。お気の毒だが、危険がある以上、御身のためである▼カツオのたたきには、真偽の分からぬ「伝説」があるそうだ。土佐藩主の山内一豊が腹を痛めやすいとカツオを刺し身で食べることを禁じたが、それでも食べたい庶民が表面だけを焼くたたきを編み出したという▼光雲の猫の足跡ではないが、豚の生肉の提供禁止を受け、食いしん坊の日本人が新たな「味」を発見するのではないか。前向きに考えてみる。
元ネタは、昭和4年(1929)刊行の『光雲懐古談』です。同書には、この他にもこうした落語のような話が満載で、飽きさせません。むろん、真面目な話も多いのですが。
東京美術学校教授、帝室技芸員として当時の彫刻界の頂点に上り詰めた光雲。しかし、その若き日には廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、輸出向けの象牙彫刻が大流行し、木彫の灯は風前の灯火でした。そうした頃の苦労譚の一つです。
さて、明朝9時から、NHKEテレさんの「日曜美術館」で、「一刀に命を込める 彫刻家・高村光雲」が放映されます。
下記は現在発売中のNHKさん刊行の番組情報誌『NHKステラ』に載った同番組の紹介記事です。クリックで拡大します。
予想通り、「『光雲懐古談』の朗読を交え」とあります。朗読は石橋蓮司さん。楽しみです。
再放送もありますが、お見逃し無く。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月30日
昭和25年(1950)の今日、創元社から『現代詩講座 第2巻 詩の技法』が刊行されました。
当時の錚々たる詩人、二十余名の寄稿から成ります。光太郎も寄稿しています。
しかし、この巻は「詩の技法」というサブタイトルで、他の詩人達が「現代詩の構成」(村野四郎)、「現代詩のレトリック」(丸山薫)、「現代詩に於ける「俳句」と「短歌」」(三好達治)など、大まじめに書いている中、光太郎は「詩について語らず」という題です。書き出しからしてこうです。
詩の講座のために詩について書いてくれといふかねての依頼でしたが、今詩について一行も書けないやうな心的状態にあるので書かずに居たところ、編集子の一人が膝づめ談判に来られていささか閉口、なほも固辞したものの、結局その書けないといういはれを書くやうにといはれてやむなく筆をとります。
なぜ「詩について一行も書けないやうな心的状態にある」のでしょうか。やはり、戦時中、大量に空疎な先勝協力詩を書き殴った自責の念がそこに垣間見えます。
以前には断片的ながら詩について書いたこともありましたが、詩についてだんだんいろいろの問題が心の中につみ重なり、複雑になり、卻つて何も分らなくなつてしまつた状態です。今頃になつてますます暗中模索といふ有様なのです。
かえって詩に対する真摯な態度が読み取れる、と言えばほめすぎでしょうか。