昨日ご紹介した花巻高村祭に関しての新聞報道で、各紙とも触れて下さっていましたが、花巻高村光太郎記念館で企画展示「山居七年」が始まりました。
彫刻を中心とした展示室1、光太郎の業績を幅広く紹介する展示室2は、基本的に常設展として展示替えはあまり行いません。ところが、その2室に並べきれない貴重な資料がまだまだたくさんあり、そういったものを半年~1年のスパンで出していこうというわけです。また、将来的には外部からの資料等も活用する方向です。
最初の企画展「山居七年」は、昭和20年(1945)から27年(1952)までの、この地での光太郎の暮らしにスポットを当てています。9月28日までが前期、10月9日から2016年2月22日を後期とし、展示を入れ替えます。前期は春から秋の生活、後期は冬の暮らしを中心にとのことでした。
そのために、足かけ8年分の詳細な年譜を作成しました。それが壁面にパネルとなって貼られています。下の画像の緑色のパネルです。
「どこどこに講演に行った」とか、「××温泉に何泊した」とか、「何々の文字を書いた」などです。
その下の白いパネルは、『高村光太郎山居七年』という書籍からの抜粋。こちらは花巻高村光太郎記念会を創設した佐藤隆房の編集になるもので、佐藤自身の回想や、花巻町、太田村、さらに岩手県内の他の地域の人々の証言などをまとめたものです。元版は昭和37年(1962)に筑摩書房から刊行され、記念会に版権を移して再刊されていましたが、それも品切れとなり、このたび新装版が刊行されました。
以前は函入りハードカバーでしたが、今度のものはソフトカバーです。その分、定価1,800円+税と、お求めやすくなっています。ぜひお買い求めを。
さて、展示に話を戻します。
現在並んでいるのは、光太郎が佐藤に贈った水彩画「牡丹」、光太郎が文字を書いた山口小学校や絵画サークル雑草社の標札板、光太郎が山口小学校に寄贈した楽器や映写機、当時の写真などです。
『高村光太郎山居七年』からの抜粋のパネルは、それぞれのものの由来などがわかるような部分を抜き出しています。
また、リニューアル前に流していた、昭和29年(1954)、ブリヂストン美術館制作の映画「高村光太郎」も常時上映中。この地での光太郎の姿が写っている貴重なものです。
企画展示室、狭い部屋ですが、こうした充実した内容になっています。
繰り返しますが、10月からは展示替えです。以後、半年から1年のスパンで内容を変更していきます。当方、アドバイザーとして関わっており、これからの内容を考えると、あれもやりたい、こんなものも並べたい、とワクワクしてきます。
当方自宅兼事務所にも珍しいものがいろいろあり、そういうものも見ていただきたいと考えたりもしています。既に展示室2に当方がお貸ししたものも並んでいますが。
そこで皆様にお願いです。光太郎智恵子に関し「家にこんなものがある」という方、ぜひ記念館にお知らせください。どういうものかよくわからないけれど、という場合でも結構です。また、岩手時代のものでなくてもかまいません。もしかするとものすごいお宝かも知れません。
明日のこのブログでご紹介しますが、まさしくそういうケースで貴重なものが出てきましたので。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月19日
平成8年(1996)の今日、劇作家の北條秀司が歿しました。
北條は、光太郎が歿した昭和31年(1956)、雑誌『婦人公論』に戯曲「智恵子抄」を発表、初代水谷八重子主演で上演されました。光太郎生前から上演の話はありましたが、自身が登場することに光太郎が難色を示していたため実現しませんでした。
その後、この戯曲は藤純子(現・富司純子)さんや有馬稲子さん主演でも上演されています。
光太郎と北條の出会いは戦時中。ともに日本文学報国会に所属し、情報局の命で光太郎に軍歌の作詞を頼みに行ったのが北條だったそうです(ただし断られました)。
そのあたり、北條の著書『演劇太平記(二)』(昭和61年=1986 毎日新聞社)に記述があります。