昨日は埼玉県東松山市に行って参りました。こちらにお住まいの、光太郎と交流のあった田口弘氏のお宅を訪問させていただくのが第一目的でした。
氏は同市の教育長を永らく務められ、在任中には、今も同市で開催されている日本スリーデーマーチの誘致、運営に骨を折られました。退任後は市立図書館顧問、幼稚園の園長先生などを歴任、現在はご隠居なさっています。大正11年(1922)年生まれの、御年93歳だそうです。
氏と光太郎、出会いは昭和18年(1943)。俳人の柳田知常を介してだったそうです。翌年には軍属として南方へ出征される前に、駒込林町の光太郎アトリエを訪れ、数点の揮毫をしてもらったとのこと。この点、3月に女優の渡辺えりさんとご一緒にお話を伺いに行った、深沢竜一氏や、動員先の工場から光太郎を訪ねたえりさんのお父様と似ています。
氏は南方で乗っていた輸送艦が撃沈されて命からがらの目にあいました。その際、出征前に光太郎に揮毫して貰った書は海のもくずとなったそうです。戦後は捕虜としてジャワ収容所に入れられ、昭和21年(1946)に帰国されたとのこと。
昭和22年(1947)には、花巻郊外太田村に隠棲していた光太郎を訪問。その後も2回ほど太田村の光太郎の元を訪れたそうです。
光太郎ゆかりの品々を、拝見して参りました。
山小屋で書いて貰ったり、埼玉のご自宅に送り届けられたりした書が4点、光太郎からの書簡が10通、光太郎から贈られた献呈署名入りの中央公論社版『高村光太郎選集』全六巻、それらが小包で届いた際の包み紙(宛名や差出人の部分が光太郎筆跡)、鉄道荷札。さらに、光太郎歿後に、特に高村家にお願いして鋳造させて貰ったという、ブロンズの「大倉喜八郎の首」など。
こちらは軸装された書。聖書の一節です。氏がクリスチャンであるため、光太郎が特にこの言葉を選んで揮毫してくれたそうです。
我等もしその見ぬところを望まば忍耐をもて之を待たん ロマ書 光太郎
と読みます。
他の3点の書は、色紙。しかし、太田村の山小屋で、目の前で書いて貰ったという2点は、戦後の混乱期ゆえ、色紙というよりボール紙のようなものです。よくある縁取りもされていません。
しかし、それだけにかえってよそゆきでない雰囲気が感じられました。
書かれているのは短句「うつくしきもの満つ」「世界はうつくし」、短歌「太田村山口山のやまかげにひえをくらひて蟬彫る吾は」。短句二つは、南方の海に沈んだ書と同じ言葉を、再度書いて貰ったそうです。
「うつくしきもの満つ」は、光太郎が好んで書いた言葉で、他にも類例がありますが、この言葉を最初に書いて貰ったのは、昭和19年(1944)の自分が最初ではないかというのが氏の弁です。
「世界はうつくし」。昭和16年(1941)には「うつくし」が漢字の「世界は美し」という詩が作られていますが、この言葉が書かれた書は類例がありません。
それぞれ氏が私刊された書籍(『詩文集 高村光太郎の生き方』)などで写真は見たことがありましたが、やはり実物を手に取ってみるのとでは大違いですね。
氏とは、10年ほど前の連翹忌でお会いしていますが、長々お話ししたのは初めてでした。氏から当方の自宅兼事務所に電話があり、一度会って話がしたい、ということでお邪魔いたしました。こうした品々の今後について、これからご相談させていただくことになります。
昨日のお話の中で、氏のおっしゃった言葉が非常に心に残りました。光太郎について詳しく研究するのはいいが、それだけでなく、そこから何を学ぶか、自分の人生にどのように活かしていくかが重要だ、とのお言葉。まったくもってそのとおりですね。
帰りがけ、氏のお宅から2㌔ほどの所にある市立新宿小学校さんに寄りました。こちらには、氏のお骨折りで建立された石碑があります。
光太郎が昭和26年(1951)、太田村の山口分教場が小学校に昇格した際、校訓として贈った言葉「正直親切」が刻まれています。
10年ほど前にこの碑を見に行ったことがありましたが、昨日、建立の際のお話も伺ったので、改めて観て参りました。
文字は渋る石屋さんを、「あなたの仕事が半永久的に残るんだから」となだめすかし、手彫りでやってもらったとのこと。機械を使っての彫りでは、光太郎の書の感じがうまく表せないという理由です。
小学一年生でも読めるようにと、ひらがなのルビも光太郎が書き添えています。
「正直親切」。単純なようで、奥の深い、いい言葉です。
他にも東松山市には、やはり田口氏のお骨折りで出来た、光太郎を敬愛していた彫刻家・高田博厚の作品を配した「彫刻通り」があります。こちらには光太郎胸像もあるのですが、一昨年、観て参りましたので、昨日はパスしました。
それにしても、貴重なお話が伺えました。当方、生前の光太郎は存じません。その分、直接交流のあった方々の証言など、積極的に聴いておきたいと考えております。
来週末には、花巻高村祭のためまた花巻に行きます。その際、地元の、やはり生前の光太郎を知る方々とお話しできる機会を設けて下さるとのこと。ありがたく拝聴して参ります。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月10日
大正13年(1924)の今日、古今書院からロマン・ロラン作、光太郎訳の戯曲『リリユリ』が刊行されました。
装幀、題字も光太郎です。
つい先だって、今まで知られていなかったロマン・ロランの文章の光太郎訳が見つかりました。のちほど詳細をレポートします。