昨日に続き、都内レポートです。
現在開催中の「テーマ展示 柳敬助」を観るためです。昨秋の開館の時に続き、2度目の訪問となりました。今月2日の第59回連翹忌に、事務の方と学芸員の方、お二人がご参加くださり、招待券も戴いてしまいました。
柳敬助は光太郎より2歳年長の画家。東京美術学校に学び、明治末、光太郎や荻原守衛と同時期に滞米しており、彼の地で二人と知り合っています(光太郎とは渡米前の東京美術学校で面識程度はあったかも知れませんが)。帰国後は中村屋の裏に守衛の設計監督で建てられたアトリエで1年ほど創作を続け、中村屋サロンの一員となりました。
妻の八重は日本女子大学校卒。同じく小橋三四子とともに、光太郎に智恵子を紹介する労を執りました。そんな縁で、光太郎とは夫婦ぐるみの付き合いが続きます。
しかし、大正12年(1923)、42歳の若さで早世。同年、日本橋三越で開かれた遺作回顧展の初日に関東大震災が起こり、展示された作品は焼失してしまいました。したがって、現存する作品は多くありません。
信州安曇野の碌山美術館さんには柳の作品がある程度まとまって収蔵されており、今回の展示はそちらから10点あまりと、その他、「個人蔵」となっているものでした。
碌山美術館さん収蔵のものは、同館に毎年行っていますので、何度も観たものですが、その他の「個人蔵」というものは初めて観るものばかりで、興味深く拝見しました。特に、ハガキ大の小さな板に油彩で書かれた「板絵」には「ほう」と思いました。小さな画面に魂が凝縮されている感じでした。
さらに奥のスペースでは、常設展的に「中村屋サロン 通常展」。
光太郎作品は油彩の「自画像」と、碌山さんから借りているブロンズの「裸婦坐像」。ともに何度見ても素晴らしい作品です。もちろん他の作家のものも。
来月9日、14:00からギャラリートークがあります。ぜひ足をお運び下さい。
最後に受付前のショップを覗くと、当方の知らなかった新刊書籍が置いてあり、早速購入しました。
新宿ベル・エポック
2015/4/20 石川拓治 小学館 定価1,800円+税帯文から
芸術と食を生んだ中村屋サロン
インドカリーで有名な中村屋に芸術家たちが集った理由とは? 愛と情熱に溢れた知られざる新宿の良き時代
明治末期から大正、昭和前期にかけて、活況を呈した中村屋サロン。彫刻家・荻原守衛(碌山)、高村光太郎、画家・中村彝…。激動の時代、彼らを支え、世のために尽くした相馬愛蔵・黒光夫妻の物語。
ちょうど受付に、連翹忌においで下さった学芸員の方がいらっしゃいまして、「こんな本が出てるんですね。存じませんでした」と申し上げると、「昨日届いたんです」とのこと。ラッキーでした。
帰りの電車の中で早速読み始めましたが(まだ読了はしていません)、非常にわかりやすくまとまっていて良いと思いました。著者の石川拓治氏はノンフィクション作家。前述の学芸員さんに教えていただいたのですが、「奇跡のリンゴ「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録」という書籍も書かれています。たまたまその題材になったリンゴの無農薬栽培の話は知っていたので、意外といえば意外でしたが、「食」という点で中村屋さんと共通するのかも、と思います。
来週には碌山美術館さんの碌山忌に行って参りますので、それまでに読んで置こうと思っています。
皆様もぜひお買い求めを。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月18日
昭和18年(1943)の今日、連合艦隊司令長官・山本五十六が戦死しました。
それを受けて光太郎は「提督戦死」「山本元帥国葬」という詩を作り、さらに「厳然たる海軍記念日」「われらの死生」という詩でも山本の戦死に触れています(すべて昭和18年=1943)。