昨日は都内を歩き回りました。3回に分けてレポートいたします。
まず、芝増上寺さん。
4月2日(奇しくも第59回連翹忌の当日)、本堂地下に宝物展示室がオープンし、里帰りを果たした英国ロイヤルコレクション所蔵の「台徳院殿霊廟模型」が、目玉として展示されています。この制作(明治43年=1910)には東京美術学校があたり、光雲も監修者として名を連ねています。
4月2日の『朝日新聞』さんの記事がこちら。
浜松町駅から歩き、地名の由来ともなった大門をくぐって境内へ入り、本堂を参拝。目指す宝物展示室の入り口付近では、何やら僧侶の皆さんが読経中。密教系の護摩法要のような感じでした。増上寺さんは浄土宗なので「?」と思ってよく見ると、どうやら一般家庭から納められた仏壇のお焚き上げを行っているようでした。
さて、地下の宝物展示室へ下り、入場料700円也を支払って、中へ。まず正面にドーンと「台徳院殿霊廟模型」。模型というよりもはや小建築です。撮影は禁止なので、いただいたチラシから画像を拝借します。
これで10分の1スケールだというのですから、焼失した霊廟自体の大きさ、豪壮さはいかばかりであったか、と思いました。
戴いたパンフレットに載っていた昭和20年(1945)当時の境内の伽藍配置はこの通り。台徳院殿霊廟は本堂の南側にありました。現在の本堂も巨大な建物ですが、図面によればそれよりはるかに大きかったことが分かります。
修復のため取り外された部材や説明パネル、修復の模様を追ったビデオを観、光雲が監修者として関わった意味がよく分かりました。霊廟のエクステリアや内装の、肘木、かえる又、欄間などに施された彫刻も、ちゃんと10分の1スケールで復元されているのです。この仕事は明治末には光雲系の木彫師でないと不可能だったでしょう。
ちなみにこの台徳院殿霊廟、日光東照宮の建築に先駆けて作られたもので、いろいろな意味で東照宮のプロトタイプ的な要素もあったとのことです。
平日にもかかわらず、多くのお客さんがいらしていました。高い知的好奇心を持つ方々が多く存在するというのも、この国の強みの一つですね。
宝物展示室を後に、本堂裏手に廻りました。墓地があり、その一角に納骨堂が建っています。
この納骨堂内部には地蔵菩薩さまがおわすのですが、そちらも光雲が原型を制作したものだそうです。昭和8年(1933)の建築で、こちらは空襲の被害をまぬがれています。
扉は時折開いているらしいのですが、残念ながら、昨日は開いておらず、光雲作の地蔵菩薩は見られませんでした。ただ、堂の周囲の四方に銅製の狛犬のような彫刻があり、光雲系の匂いがします。しかし、ざっとネットで調べてみても詳細は不明です。情報をお持ちの方はこちらまでご教示いただけると幸いです。
増上寺さんを後に、次なる目的地、新宿に向かいました。以下はまた明日。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月17日
平成4年(1992)の今日、福島県安達町(当時)が『命と愛のメッセージ』を刊行しました。
同日開館した智恵子記念館のパンフレット的な刊行物ですが、50ページ超、紙絵を中心に智恵子作品集の要素も持っています。その後発見された智恵子筆のデッサンを収めた改版が平成14年(2002)に発行され、現在も記念館で販売中です。