今日、平成27年(2015)4月2日は、光太郎の59回目の命日です。午後5時30分から、日比谷公園内の松本楼様において、第59回連翹忌の集いを開催いたします。
参加申し込みは昨年を下回りましたが、生前の光太郎を知る方々が6名、さらに、初めて参加されたり、久しぶりに参加されたりする方々の中に、ビッグな方のお名前もあり、「濃い」連翹忌になりそうです。
レポートは明日以降、執筆いたします。
さて、生前の光太郎を知る方のお一人で、当会顧問にして、第50回までの連翹忌を運営されていた北川太一先生。先月でおん年90歳になられましたが、まだまだお元気で、今日もご参加下さいます。
そんな北川先生の新著が完成しましたのでお知らせします。
ヒュウザン会前後―光太郎伝試稿―
2015年4月2日 文治堂書店刊 定価1,800円+税
帯文より
明治が大正に変わる1912年、光太郎は斎藤与里の熱意を受け岸田劉生、木村荘八等とともにヒュウザン会を興す。北山清太郎の支援・協力により催された展覧会は「公」に対するアンデパンダンであった。
目次
Ⅰ プロローグ
Ⅱ さまざまな前景 装飾美術展その他
Ⅲ 展覧会前夜 明治から大正へ
Ⅳ ヒュウザン会始まる 新聞のキャンペーンが成果
Ⅴ さまざまな反響(一) 寅彦と「ツツジ」と漱石
Ⅵ さまざまな反響(二) 光太郎の詩「さびしきみち」
Ⅶ 第二回展に向かって 北山清太郎の功績
Ⅷ 第二回展覧会開催 関如来の展覧会評
Ⅸ ヒュウザン会崩壊 人見東明(清浦青鳥)のエール
Ⅹ ヒユウザン会から生活社へ 尾崎喜八ら、若き詩人との交遊
主要人物生没年
あとがき
元々は、平成14年(2002)~同23年(2011)、高村光太郎研究会発行の雑誌『高村光太郎研究』に連載されたものです。目次を見ればおおよそ見当がつくかと思いますが、明治末から大正初めにかけての、光太郎もその中心にいた画壇、特に公設の文部省美術展覧会(文展)に「対抗」して結成されたヒュウザン会をめぐる光太郎評伝です。「どうやってここまで細かく調べているんだ?」と思うほど、当時の事象が精細に網羅されています。
当方、中身の校閲をさせていただきました。元々の『高村光太郎研究』に載った段階で、きちんと校閲が為されていなかった部分があり、意外と苦労しました。そうしましたところ、「編集協力」ということで名前を載せてくださいましたし、北川先生の「あとがき」でも当方にふれて下さっています。恐縮至極です。
ご注文は、版元の文治堂書店さんまで。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月2日
平成10年(1998)の今日、筑摩書房刊行の増補版『高村光太郎全集』が完結しました。
最初の『高村光太郎全集』は、光太郎が歿した翌年の昭和32年(1957)から刊行が開始され、同33年(1958)に全18巻が完結しました。
平成6年(1994)、増補版全21巻+別巻1の刊行が始まり、同10年(1998)の今日、別巻が刊行され、完結しました。
上記の『ヒュウザン会前後―光太郎伝試稿―』や、当方が刊行している冊子『光太郎資料』もそうですが、光太郎がらみの出版物はやはり連翹忌当日の4月2日を発行日にすることが多くあります。
別巻は、全巻の索引や詳細な年譜が載っているため、当方、毎日のように手に取っています。したがって、もはや表紙はボロボロです。