いろいろ紹介する事項が多く、間が空いてしまいましたが、先週末、京都に行って参りましたのでレポートします。
目的地は2カ所。まずは東山の知恩院さんに。
こちらにある友禅苑という庭園には、光雲が原型を作成した聖観音像が鎮座ましましています。
この像は秋11月、紅葉の季節にライトアップされます。
知恩院さんには何度も足を運んでおりますが、実はそのライトアップの報道を読むまで、こちらに光雲原型の観音様がいらっしゃることを存じませんで、この機会にと思い、拝見して参りました。
光雲は江戸の生まれで、東京をホームグラウンドにしていましたので、東京には光雲作の仏像を収める寺院が非常に多いのですが、京都はそうでもありません。
そちらは堂内や宝物館に収められていますが、知恩院さんのものは露座です。京都で露座の仏像でちょっとしたもの、というのは珍しいのではないでしょうか。
知恩院さんを出て、そのまま歩いて南下、円山公園や祇園を抜け、清水方面へ向かいました。知恩院さんを含め、早咲きの桜がみごとでした。まだソメイヨシノはほとんど開花していませんでした。
ただ、雨だったのが残念でした。それはそれで風情があったのですが。
次なる目的地は、清水寺近くの清水三年坂美術館さん。
こちらでは、2月から企画展「明治の彫刻」を開催中です。
光雲作の木彫が4点、展示されています。「聖観音像」「月宮殿 天兎」「老子出関」「西行法師」です。
他に光雲と親交の深かった石川光明、光雲高弟の山崎朝雲などの木彫、今年1月、テレビ東京系の「美の巨人たち」で取り上げられた森田藻己の根付「竹の中の大工」もありました。光雲が森田の根付けを愛用し、絶賛していたとのこと。
木彫は見る機会が多いのですが、今回、牙彫(げちょう・象牙彫刻)がたくさん出品されており、まとめて牙彫を見るのは初めてなので、興味深く拝見しました。明治前半には牙彫が輸出品としてもてはやされましたが、光雲は師匠伝来の木彫にこだわり、廃仏毀釈で仏像の注文がほとんどなくなっても牙彫にはてをつけなかったそうです。また、金工でなく、木彫や牙彫で作られた自在置物もあり、「こんなものもあったのか」と驚きでした。
企画展は館の二階でしたが、一階は常設展的に、彫刻以外の七宝や金工、漆芸などの作品が並んでいました。こうした明治の「超絶技巧」がちょっとしたブームですが、やはり凄い、と思いました。
同館では同館自体でこのような展示を行いつつ、さらに出張巡回で「特別展 超絶技巧!明治工芸の粋」も展開しています。現在は山口県立美術館に巡回中です。こちらでも光雲の木彫が並んでいます。
館の方とお話をさせていただきましたが、こちらの展示品はほぼすべて、館の所蔵する「村田コレクション」だそうで、外部から借り受けることはほとんどないそうです。「光太郎展をやりませんんか?」という営業の意図もあっておじゃましたのですが、どうもそうはいかないようです。
さて、「明治の彫刻」、来月17日まで開催中です。知恩院さんともども、足をお運び下さい。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月1日
明治42年(1909)の今日、日本女子大学校桜楓会の機関誌『家庭』が創刊されました。
この雑誌の編輯人は小橋三四子、発行兼印刷人は柳八重。いずれも智恵子と親しい同大の先輩で、1年半後には二人を介して光太郎と智恵子の邂逅が実現します。
『家庭』には智恵子の描いたカットも掲載されました。数多い挿画の中でどれが智恵子の手になるものか特定できない面がありますが、このあたりは智恵子作と云われています。