こちらは実業家の西山由之氏が、自宅敷地内に開設された私設美術館です。
コレクションは3本柱で、「ロダン」、「ユトリロ」、そして「銘石」です。
まずは通り沿いにドーンと大きな門。ご自宅の門と兼用のようで、表札もかかっていました。
ここから町田特有の急な坂をさらに車で上がっていき、ご自宅の脇に美術館があります。
入り口にはなぜか黄金色の「考える人」。
さらに銘石。ロビーにも。
ここでの「銘石」は、アメジストなどの水晶系の大きなものという感じで、「パワーストーン」と謳っており、どれも直接手で触れられるようになっていました。
5階建ての1階はロビー、受付、そしてショップです。入館料1,200円でしたが、JAFの会員証提示で900円に割引でした。最初に、「こちらに該当する方は割引がございます」と見せられた紙にJAF会員に関しても書いてあり、「あ、会員証持ってます」ということに。非常に親切だなと思いました。さらに小さな水晶の欠片を2粒いただけます。「お財布に入れておくと金運アップになりますよ」とのこと(笑)。
2階、3階にロダンの作品が展示されているということで、階段を上がって2階に。すると、最初に眼に入った彫刻は、意外なことにロダンではなく荻原守衛の「女」でした。
さらに驚いたことに、キャプションによれば、守衛を援助していた新宿中村屋の相馬家にあったものだそうです。戦時中の疎開などの関係で、この地に残されたとのこと。したがって、守衛と親交のあった山本安曇の鋳造です。
そこから先には、様々なロダン作品と「銘石」が。ロダン作品はブロンズが中心でしたが、大理石やデッサンもありました。
有名なところでは、「鼻の潰れた男」、「青銅時代」、「バルザックの頭部」など。
4、5階はユトリロの展示でした。こちらは撮影禁止と言うことで画像はありませんが、油彩、水彩など数十点が並んでいました。
壁に貼られている年譜を見て、初めて知りましたが、ユトリロは光太郎と同じ明治16年(1883)の生まれでした(生まれといえば、今日、3月13日は光太郎の誕生日です。存命なら満133歳になります)。
光太郎がユトリロに言及したのは、今のところ昭和15年(1940)に書かれた評論「上野の現代洋画彫刻」の中で一度だけですが、好意的に紹介しています。表記は「ユトリヨ」となっています。
ドガの画いた灰色の間仕切、マネの生きて濡れてゐる絵具、ルソオのたのしい調和、ユトリヨのエナメル色の空。これらを昔のルウブル紙幣のやうに笑ふものは必ず芸術から復習をうけるだらう。
なるほど、という感じですね。
さて、西山美術館さん。ぜひ足をお運びください。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月13日
昭和35年(1960)の今日、『光太郎資料』が創刊されました。
当会顧問にして、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生による手作りの冊子です。筑摩書房から刊行された最初の『高村光太郎全集』の補遺と訂正から始まりましたが、不定期刊行で平成5年(1993)までの間に第36集まで出され、さまざまな資料が掲載されました。
光太郎の誕生日に合わせ、この日の創刊となったと思われます。
その名跡をお譲りいただき、当方が37集以降を3年前から刊行しています。