当方も所属している「高村光太郎研究会」という会があります。そちらの機関誌的な雑誌『高村光太郎研究』が、年刊で発行されています。発行日は毎年、光太郎忌日・連翹忌の日に設定しています。

こちらが昨年刊行の第35号です。

イメージ 1

第36号の刊行が近づいて参りまして、当方の連載「光太郎遺珠」、それから今年から担当することになった「高村光太郎没後年譜」の校正稿が送られて来、昨日、朱筆を入れたものを主宰の野末明氏に返送しました。そちらが2校ということで、これで校了です。

イメージ 2

以前にもご紹介しましたが、「光太郎遺珠」は、筑摩書房の『高村光太郎全集』が平成10年(1998)に完結した後、さらに見つかり続ける光太郎智恵子の作品を網羅するものです。

今回載せるものは以下の通りです。

まず、短歌が一首。昭和26年(1951)のもので、もともと与謝野晶子の没後十周年記念講演会に際し、電報として贈られた片仮名書きものが『高村光太郎全集』に収められていますが、雑誌『スバル』に漢字ひらがな交じりで掲載された形を見つけましたので、そちらを載せました。

それから戦後の談話筆記。花巻郊外太田村の山口小学校長だった浅沼政規が、PTAの会合、講演会などで語った光太郎の言葉を記録していたものです。浅沼は最晩年の光太郎に校閲を求め、活字にすることを希望していましたが、光太郎の健康状態がそれを許さず、その時点ではその話は流れました。平成7年(1995)に浅沼が花巻で私刊した『高村光太郎先生を偲ぶ』という書物に掲載されていますが、広く世に知らしめるため、子息の浅沼隆氏に承諾を得、掲載させていただきます。ただ、量が多いので、今年から3~4カ年計画です。

雑纂として、新聞記事に付された光太郎のコメントが3件。日本女子大学校創設者・成瀬仁蔵の胸像制作を依頼された際のものと、太平洋戦争直前、大政翼賛会第一回中央協力会議に出席する際のコメント、そして十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)除幕のため、昭和28年(1953)秋に青森入りした際の談話です。

乙女の像に関しては、制作にかかる前の構想スケッチ、その完成記念会での挨拶に用いたメモ書きも載せました。

書簡が13通。昨年開催された盛岡てがみ館さんでの企画展「高村光太郎と岩手の人」、山形の最上義光歴史館さんの企画展「第6回 市民の宝モノ2014」、鎌倉の笛ギャラリーさんでの「回想 高村光太郎 尾崎喜八詩と友情」に出品されたものや、『朝日新聞』さんの岩手版で発見が報じられたもの、などです。

さらに座談会が一篇。戦時中のものです。

書簡に関しては新しい発見をどんどん載せていますが、その他はページ数の都合により、数年前に発見したものを順次小出しにしている状態です。


「高村光太郎没後年譜」は昨年1年間の光太郎がらみの出来事――このブログでご紹介してきたようなこと――を時系列でまとめたものです。やはりページ数の都合があり、大きな出来事しか載せられないのが残念ですが、なるべく記述を簡潔にし、できるだけ多くの項目を設定しました。

イメージ 3


『高村光太郎研究』第36号、4月2日の第59回連翹忌の席上で販売開始、頒価は1,000円です。上記以外に北川太一先生の玉稿なども載るはずです。ご入用の方は、こちらまでご連絡下さい。後ほど郵送いたします。

併せて連翹忌の参加者も募っております。よろしくお願いいたします。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月28日

昭和4年(1929)の今日、萬里閣書房から河野桐谷(こうのとうこく)編 『漫談 江戸は過ぎる』が刊行されました

540頁にわたる大冊ですが、「維新の巻」「江戸の巻」の二部に分かれ、30余人の談話から構成されています。

「はしがき」によれば「五六年前から、田中智学先生、高村光雲先生等の下に、江戸文化研究の座談会を月一回開いて、それが国醇会の名の下に今でも継続してゐる。」とあります。

光雲談話は「江戸の巻」の半分以上を占め、題目は「歳の市の話」「両国の夕凉み」「浅草の話(上)」「浅草の話(下)」「新落語 喜の字」。いずれも幕末から明治初年の回想譚ですが、その記憶力には舌を巻かされます。光太郎の生まれ育った背景、その思想上のバックボーンを 知る上で、貴重な記録です。

左の画像は函、右の画像は表紙と背です。題字揮毫は光雲です。

000  001

上記の『高村光太郎研究』とは別に、当会で刊行している『光太郎資料』という冊子がありますが、そちらで「光雲談話筆記集成」という項を設け、こちらの内容も少しずつご紹介しています。

また、昭和44年(1969)には、新人物往来社から復刻版が出されています。

版元の萬里閣書房は本書以外にも、光雲の『光雲懐古談』(昭和4年=1929)、東野善一郎著『天誅組天誅録』(同)、篠田鉱造著『幕末百話』(同)、子母沢寛著『新選組遺聞』(同)など、江戸時代を回顧する内容の書籍をこの時期に上梓しています。これはこの当時、いわゆる「江戸ブーム」が起こったことが背景にあります。