過日ご紹介しました登山系雑誌の『岳人(がくじん)』さんの最新号、2015年3月号が、昨日、発売になりました。
表紙は畦地梅太郎の版画。いいですね。
特集記事として、「言葉の山旅 山と詩人 上高地編」が、30ページほどで組まれています。
そのうち、8ページが「高村光太郎と智恵子の上高地」。光太郎詩文と拙稿です。
上高地は、大正2年(1913)の夏、光太郎智恵子が一ヶ月ほどを共に過ごし、ここで結婚の約束を結んだ場所です。その辺りの経緯と、のちに智恵子が心を病んでしまってから、光太郎がその当時を回想して書いた詩文などに触れてみました。
編集部からは、引用部分を除き2,000字程度という指定で、先日の「歴史秘話ヒストリア」ではありませんが、短い尺の中に収めるのに苦労しました(笑)。もっと書きたいことがたくさんあったのですが、その中の一部は他の方の記事に書かれていましたので、安心しました。
他に尾崎喜八や竹内てるよ、草野心平に北原白秋といった、光太郎と縁の深かった詩人も取り上げられ、また、現代の山岳詩人・正津勉氏の玉稿もあり、非常に読みごたえのある特集です。
大規模書店なら店頭に並んでいますし、アウトドア用品メーカーのモンベルさんのショップにも並びます。また、版元やAmazonなどのネット通販でも入手可能です。定価は680円+税。ぜひお買い求め下さい!
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月15日
昭和54年(1979)の今日、書道雑誌『墨美』288号で、光太郎の特集「高村光太郎遺愛 黄山谷 子瞻帖(しせんじょう)」が組まれました。
黄山谷は、中国北宋の進士、黄庭堅(こうていけん)の号。草書をよくし、宋の四大家の一人に数えられています。
光太郎は山谷の書を好み、最晩年には中野のアトリエの壁に黄山谷の書、「伏波神祠詩巻」の複製を貼り付け、毎日眺めていました。
「子瞻帖」は、黄山谷が師である蘇東坡の略歴を詩文にしたものです。光雲がその拓本を入手、光太郎がそれに惚れ込み、大切にしていたという品です。光太郎から書家の西山秋崖の手に渡りました。そうした経緯にも触れられています。