昨日は、東京本郷にて、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生を囲む新年会に参加させていただきました。昨年からお声がけいただくようになり、2度目の参加でした。
主催は北川先生が都立向丘高校に勤務されていた頃の教え子の皆さんである「北斗会」さん。「教え子」といっても、80代の方も多く、昨年もそうでしたが、30名程の参加者の中で、当方が最も若いという状況でした。
北川先生は、今年の誕生日が来れば満90歳。しかし、そうとは思えぬほどお元気です。また、結婚記念日が来れば60周年のダイヤモンド婚式。奥様の節子先生もお元気です。
昨日戴いた、座席表兼年賀状。北川先生の直筆です。曰く「ひつじ雲もくもく よき春を呼べ 太一卆寿」。
さて、さらに同じく昨日。深夜11:00~12:30、NHK Eテレさんの教養番組「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第5回吉本隆明」の放映がありました。
吉本の思想的源泉の一つが、戦時中の光太郎の戦争協力に対する考察だったことが紹介されました。
その話の流れの中で、東京工業大学等で吉本の同級生だった北川先生がご登場。
二人の光太郎にまつわるエピソードが語られました。
節子先生も、ちらりとご登場(笑)。
その後の吉本の活動について、たっぷり90分間の中で、批判的な意見もおりまぜつつ紹介されました。非常に見応えのある内容でした。
再放送が、やはり深夜ですが、1月17日(土)午前0時00分~午前1時30分にあります。見逃した方、ぜひご覧下さい。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月11日
昭和28年(1953)の今日、秩父宮雍仁親王の逝去に際し、『朝日新聞』の取材を受けました。
この時の談話は、翌日、同紙に散文「悲しみは光と化す」の題で掲載されました。哀惜の念のよく表された談話です。光太郎は昭和3年(1928)の秩父宮親王ご成婚に際し、詩「或る日」を作っています。
のちに草野心平が、新潮文庫版『智恵子抄』(昭和31年=1956)の解説で、光太郎自身の追悼のために、この「悲しみは光と化す」の題名を拝借しています。