コンサート情報です。
日本のうた編年体コンサート⑬ 『國民歌謠』~『われらのうた』(1941)と同時代の歌
2015年1月10日(土) 19:00/東京文化会館小ホール
藍川由美(歌)/蓼沼明美(ピアノ)/片山杜秀(話)
入場料:3,000円(全席指定)/学生券:1,000円 (当日扱いのみ)
お問い合わせ:オフィス小野寺 03-6804-8444
昭和15年
「誰か故郷を想はざる」(西條八十・古賀政男/1940年1月発売)
「支那の夜」(西條八十・竹岡信幸/1940年6月公開「支那の夜」主題歌/1938年12月発売)
「蘇州夜曲」(西條八十・服部良一/1940年6月公開「支那の夜」劇中歌)
「支那の夜」(西條八十・竹岡信幸/1940年6月公開「支那の夜」主題歌/1938年12月発売)
「蘇州夜曲」(西條八十・服部良一/1940年6月公開「支那の夜」劇中歌)
「隣組」(岡本一平・飯田信夫/6.17放送)
「用心づくし」(岡本一平・服部正/8.19放送)
「出せ一億の底力」(堀内敬三作詞・作曲/11.26放送)
「火の用心」(相馬御風・中山晋平/12.2放送)
「嗚呼北白川宮殿下」(伯爵 二荒芳徳・古関裕而/12.9放送)
「國民協和の歌」(中央協和會&大政翼賛會・橋本國彦/12.16放送)
「用心づくし」(岡本一平・服部正/8.19放送)
「出せ一億の底力」(堀内敬三作詞・作曲/11.26放送)
「火の用心」(相馬御風・中山晋平/12.2放送)
「嗚呼北白川宮殿下」(伯爵 二荒芳徳・古関裕而/12.9放送)
「國民協和の歌」(中央協和會&大政翼賛會・橋本國彦/12.16放送)
昭和16年
「歩くうた」(高村光太郎・箕作秋吉/1.20放送)
「めんこい子馬」(サトウハチロー・仁木他喜雄/1.27放送)
「めんこい子馬」(サトウハチロー・仁木他喜雄/1.27放送)
以上、「國民歌謠」 以下、「われらのうた」
「海の進軍」(海老沼正男・古関裕而/5.9放送)
「婦人愛國の歌」(仁科春子・古関裕而/7.16放送)
「月月火水木金金」(高橋俊策・江口夜詩/9.24放送)
「朝だ元氣で」(八十島稔・飯田信夫/10.25放送)
「僕等の團結」(勝承夫・信時潔/10.25放送) ほか
「婦人愛國の歌」(仁科春子・古関裕而/7.16放送)
「月月火水木金金」(高橋俊策・江口夜詩/9.24放送)
「朝だ元氣で」(八十島稔・飯田信夫/10.25放送)
「僕等の團結」(勝承夫・信時潔/10.25放送) ほか
以下、同時代の歌曲
「北の海」(中原中也・清水脩/1941-作曲) 「在りし日の歌」より
「お道化うた」(中原中也・清水脩/1940作曲)
「お道化うた」(中原中也・清水脩/1940作曲)
藍川由美さんは東京芸術大学出身の声楽家。ジャンルを超え、明治~昭和の日本歌曲をよく取り上げるなど、歌謡史の研究、そして実演に取り組んでいらっしゃいます。
「歩くうた」は昭和15年に飯田信夫の作曲で「国民歌謡」として発表されました。光太郎作詞の歌曲のうち、唯一、ある程度ヒットした曲で、ラジオでくり返し流れたり、徳山璉(たまき)の歌唱のレコードがかなり売れたりで、光太郎の甥、故・高村規氏によれば、当時の子供達はみんなでこれを歌いながら行進していたそうです。
当方の刊行している冊子『光太郎資料』中に、「音楽・レコードに見る光太郎」という稿を連載中でして、この「歩くうた」に関してもいろいろと調査、考察しました。
そうした中で、「歩くうた」が収録された当時のSPレコード3種類を入手しました。全てビクターからのリリースです。
上記が最も一般的なもので、徳山璉の歌唱、カップリングが若杉雄三郎作詞、島口駒夫作曲、服部正編曲、一色皓一郎独唱の「歓喜の前進」。レコード番号が「A―4187」です。
さらに同じ徳山の歌で、もう一枚。「かちどき合唱団」も歌手名に記されています。レコード番号は「K―4002」。このK番台のものは特殊なもののようです。カップリングは「行進曲「アジヤの力」」。「歩くうた」と同じく飯田信男の作曲です。
それから歌なし―インストゥルメンタルのもの(A―4211)が一枚。日本ビクター管弦楽団の演奏です。カップリング曲はやはり飯田の作曲である「隣組」。
さらにもう一枚、「A―4325」という番号のものも確認できています。こちらは日本ビクター女声合唱団と日本ビクター児童合唱団の演奏。服部正の編曲による合唱バージョンです。入手できていませんが、こちらは国立国会図書館のデジタル化資料「歴史的音源」に収められていて、同館に行けば聴くことができます。
戦後70年となり、こういった戦時歌謡も忘却の彼方へと向かいつつあります。ある意味「負の遺産」ではありますが、歴史として記憶されるべきでしょう。
さて、藍川さんは歌謡史の研究を兼ねて、こういった戦時歌謡の実演にも取り組まれているようです。以前にもご紹介しましたが、当時の楽譜どおりの演奏で、CDもリリースされていますし、「日本のうた編年体コンサート」では、やはり光太郎作詞の「こどもの報告」(箕作秋吉作曲)を演奏されたこともあります。
こちらには「歩くうた」が収められています。
ただ、こういった歌曲、ヘイトスピーカーに奇妙なもてはやし方をされないようにと願っています。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月3日
昭和28年(1953)の今日、NHKラジオで亀井勝一郎との対談がオンエアされました。
光太郎の日記には、以下の記述があります。
NHKの水野さん、一戸さん来る、亀井勝一郎氏と対談の件、承諾、時日は亀井さんにきめてもらふ事、当日迎へにくる由にてNHKにゆく事(午后)、 (昭和27年12月13日)
ひる頃藤島さん(注・藤島宇内)亀井勝一郎氏同道来訪、一時NHKの車にて放送会館、30分間対談放送、一月三日午前十一時半放送の由、(録音)、 (同12月25日)
放送をきかず、放送は亀井氏と先日録音した対談、午前十一時より放送せら(れ)たる筈、 (同28年1月3日)
この対談に関しては、文字にもなったものも確認できていませんし、詳細が不明です。亀井側の資料を調べれば、何かわかるかもしれませんが、そこまで手が回っていません。情報をお持ちの方はこちらまでご教示いただければ幸いです。