とうとう大晦日となりました。今年もいろいろありました。その都度、多くの方々にお世話になりました。今年1年をふりかえってみます。
 
メインイベントは4月2日の第58回連翹忌。光太郎忌日の集いということで、全国からたくさんの方々にお集まりいただきました。ありがとうございました。
 
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光太郎が足かけ8年を過ごした花巻でも、花巻連翹忌
  
今年は「道程」100周年、光太郎智恵子結婚披露100周年の記念の年で、いろいろなイベントなどで、その件に触れて下さいました。
 
イベントも、ここですべてを振り返るわけにもいきませんので、光太郎智恵子をメインにあつかったもののみ、ご紹介します。
 
盛岡てがみ館さんでは、2月から6月にかけ、第43回企画展「高村光太郎と岩手の人」が開催されました。実際に行って参りましたが、なかなかいい企画展でした。
 
同じ盛岡では、やはり2月に演劇「泣きビッチョ光太郎」が上演されました。見に行けなくて残念でした。再演を希望します。演劇系では10月から、劇団青年団第73回公演 『暗愚小傳』。11月には【じゃがいも村プロデュース公演】麦人じか~ん一人語り『智恵子とゐふ女』。12月には微笑企画第4弾「一人芝居 人に~智恵子抄より~」
 
5月には毎年恒例の花巻光太郎祭。今年の記念講演は、光太郎が名付け親となった絵本作家・編集者の末盛千枝子さんでした。
 
8月には、宮城県は女川町で、第23回女川光太郎祭。それに先立つ6月には、福島二本松の智恵子のまち夢くらぶさん一行が、女川をご訪問。『朝日新聞』さんで大きく取り上げていただきました。
 
10月には、二本松で第20回レモン忌。智恵子命日の集いです。今年は当方が記念講演をさせていただきました。同じ10月には、鎌倉の笛ギャラリーさんで、「回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情」展。書家・金子大蔵氏の作品展「第三回金子大蔵書展-近代詩文書の可能性を探る(高村光太郎の詩を書く)」も10月でした。金子氏が、やはり光太郎の詩を題材にしていた金子鴎亭のお孫さんだと、最近まで知りませんでした(汗)。
 
また、10月には十和田湖畔に観光交流センター「ぷらっと」がオープン。光太郎作の「乙女の像」関連の展示に協力させていただきました。
 
音楽系ですと、 「第10回智恵子生誕祭 朗読とギターで綴る智恵子と光太郎の道程」が5月にありました。また、テルミン奏者の大西ようこさんが中心となり、9月にはPrhymx(ぷらイム)「もうひとつの智恵子抄」、10月にはotoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄』。大西さんは11月の第59回高村光太郎研究会にもご参加下さいました。
 
その他、光太郎智恵子、光雲に少しだけ関わるイベント、書籍の出版、音楽CDリリース、テレビ放映などなど、細かく紹介出来ませんが、いろいろとありました。ありがたいかぎりです。
 
反面、残念だったのが訃報。光太郎の令甥で、高村光太郎記念会理事長だった写真家の高村規氏、令姪のお嬢さんで、歌手だった高村亜留さんが亡くなりました。また、俳優・高橋昌也さん、女優・松本典子さん、作家・渡辺淳一さん、李香蘭こと山口淑子さんも。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 
 
最後に、一昨年の大晦日にも同じことを書きましたが、今年1年、皆様からいただいた郵便に貼ってあった切手を切り取り、使用済み切手を収集している団体-公益社団法人日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)さんに寄付、同会サイトに寄付団体として名前を載せていただきました。
 
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昨年も寄贈したのですが、昨年はうっかり差し出し人欄に、高村光太郎連翹忌運営委員会代表として当方の名前を書いたラベルを貼ってしまい、そうすると個人名は掲載しないという同会サイトの方針で、載せていただけませんでした。
 
さて、今年も残すところあと数時間。来年もよろしくお願い申し上げます。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月31日
 
昭和45年(1970)の今日、TBS系テレビで放映されていた「花王愛の劇場 智恵子抄」が最終回を迎えました。
 
光太郎役は故・木村功さん、智恵子役は佐藤オリエさんでした。
 
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上記は番宣用のスチール写真と、角川文庫の佐藤春夫著『小説智恵子抄』カバーです。佐藤さんのお父様は彫刻家・佐藤忠良。光太郎に心酔していた一人でした。
 
さて、昨年は【今日は何の日・光太郎】、今年は【今日は何の日・光太郎 補遺】ということで、365日×2、のべ730日分のエピソードを紹介して参りました。時には苦し紛れのネタもありましたが、つつがなく2年間書き続けることができました。ご愛読ありがとうございました。