先週、妻が買い物に行きたいというので、日本橋のCOREDO室町さん、COREDO日本橋さんに連れて行きました。
ついで、と言っては何ですが、東京駅丸の内口にある東京ステーションギャラリーさんにも寄りました。現在、「東京駅開業百年記念 東京駅100年の記憶」が開催されています。
このブログで繰り返し書いてきましたが、今年は大正3年(1914)から数えて、光太郎智恵子結婚披露100周年、「道程」100周年です。そして東京駅の開業も同じ大正3年(1914)で100周年ということで、いろいろと記念イベント等がありました。限定Suica発売での大混乱のニュースは記憶に新しいところですね。
駅舎も6年にわたる改修工事が行われ、ほぼ開業当時の姿が復元されたということです。
で、ステーションギャラリーさんでは、この企画展です。東京駅に関わる美術作品の展示や、文学作品の紹介があるというので、また、妻が意外と鉄道好きなので、寄ってみました。
展示のうち、ジオラマなどは撮影可でした。
美術系では、石井鶴三(版画)、松本竣介(油絵)など、光太郎と交流のあった作家の作品が並んでいました。クロニクル的なコーナーでは、開業当時の駅付近の名所、ということで光雲作の楠公銅像の写真が載った冊子が、そのページが開かれて展示されていました。
また、これはちょっと驚いたのですが、つい先日のこのブログでご紹介した昭和27年(1952)12月14日の『週刊朝日』が展示されていたこと。
石川滋彦の描いた東京駅丸の内口風景が表紙に使われていたためです。「この中に光太郎の文章が載っているんだよなぁ」と思いつつ、見ました。しかし、キャプションが「12月14日」ではなく「2月14日」となっていたのには閉口しました。帰りがけにアンケートボックスがあったので指摘してきましたが、その後、訂正されたでしょうか。
東京駅の駅舎は、関東大震災や太平洋戦争など、100年の間に何度か危機を迎えたそうです。しかし、そのたび保存の動きが起こり、今に至っています。そして今回の改修では、さらに100年後を見据えての改修がなされたとのこと。すばらしいですね。
こちらはステーションギャラリーさん内部の階段です。当時の煉瓦が残っており、重要文化財です。
100年後、当方はもうこの世にいませんが、「東京駅開業200年」と大きく取り上げられているのではないかと想像します。もっとも、100年後にも鉄道というものがあるのかどうか、なんともわかりかねますが。一方の光太郎智恵子。100年後にも「光太郎智恵子結婚200周年」、「『道程』200周年」と、取り上げられていてほしいものです。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月29日
昭和33年(1958)の今日、画家・石井柏亭が歿しました。
石井は光太郎より一つ年長。病気のため中退しましたが、光太郎と同じ東京美術学校に通っていました。また、与謝野夫妻の新詩社や、「パンの会」で光太郎と親しく交わりました。
「日本初の印象派宣言」とも言われる、光太郎の有名な評論「緑色の太陽」(明治43年=1910)は、その国や地域に固有の色調(地方色)を重視すべしという石井の論に反駁する、という意味合いもあって書かれました。しかし、仲が悪かったというわけではありませんでした。
上記は明治37年(1904)、上州赤城山でのショット。左から、大井蒼梧、与謝野鉄幹、伊上凡骨、光太郎、石井柏亭、平野万里です。
ちなみに柏亭の弟は彫刻家の鶴三。やはり光太郎と親炙しました。上記ステーションギャラリーの企画展に鶴三作の版画も展示されています。