テレビ放映情報です。 

いにしへ日和 #122 岩手県・花巻市・高村光太郎と大沢温泉

BS朝日 2014年12月25日(木)  21時54分~22時00分  再放送2015年1月1日(木) 22時54分~23時00分
 
日本の東国各地をめぐり、歴史上の人々が残した足跡をたどります。美しい景色の中に息づく「時の記憶」。旅をしながら、現在と過去を自由に行き来する。そんな気分を味わう番組です。時をこえ、小さな旅に出かけよう。今日は、いにしへ日和…日本の各地をめぐり、歴史上の人々が残した足跡をたどります。
 
高村光太郎は、1945年花巻に疎開し、7年の間、この地で過ごしました。 光太郎62歳。最愛の妻・智恵子も既に他界し、東京大空襲で自宅とアトリエを失ってやってきた花巻。 そんな光太郎が「本当の温泉の味がする」と、何度も訪れた大沢温泉を訪ねます。
 
出演 ナレーター キムラ緑子
 
イメージ 1
JR東日本さん提供の5分間番組です。
 
今年5月には、「#107 福島県・二本松市・智恵子の空」ということで、二本松の智恵子生家周辺を取り上げて下さいました。公式サイトはこちら
 
イメージ 2
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
今回は、光太郎が何度も訪れた、花巻郊外の大沢温泉さんからです。宮澤賢治や相田みつをゆかりの宿としても有名です。
 
当方も定宿としています。一昨年はつごう7泊ほど泊めていただきました。しかし、今年は花巻には2回行きつつも、1回も泊まりませんでした。1度目は1月下旬。大沢さんがいっぱいで、やはり光太郎が何度か訪れた鉛温泉さんに泊めていただきました。2度目は5月15日の光太郎祭でしたが、この時は夜行高速バスを使い、車中泊でした。だからしばらく行っていません。テレビを見て、懐かしみたいと思います。
 
ただ、来年は既に泊めていただくことが決まっています。今から楽しみです。とにかく温泉が素晴らしいし、料理や部屋、そして宿全体の雰囲気が非常にいい感じです。
 
一年中、いつ行っても、それぞれの季節ごとの良さがありますが、一番お薦めなのは、冬です。
 
こちらは4年前の今頃撮った画像です。今の季節はこんな感じです。
 
イメージ 6
 
イメージ 7
 
イメージ 8
 
寒さは半端ではありませんが、雪見の露天風呂、そして温泉で火照った身体に染み渡る清冽な冷気、そして寒くなったらまたザブン。たまりません。
 
ただし、この冬は近くの高村山荘・高村光太郎記念館は、グランドオープンに向けてのリニューアルで閉鎖中ですので、お気をつけ下さい。
 
さて、「いにしへ日和」。ぜひご覧下さい。本放送は明後日、再放送が来年1月1日。再放送とはいえ、元日から光太郎がらみの放映があるというのは、幸先がいいですね。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月23日
 
昭和20年(1945)の今日、詩「雪白く積めり」を執筆しました。
 

   雪白く積めり
 000
雪白く積めり。
雪林間の路をうづめて平らかなり。
ふめば膝を没して更にふかく
その雪うすら日をあびて燐光を発す。
燐光あをくひかりて不知火に似たり。
路を横ぎりて兎の足あと点々とつづき
松林の奥ほのかにけぶる。
十歩にして息をやすめ
二十歩にして雪中に坐す。
風なきに雪蕭々と鳴つて梢を渡り
万境人をして詩を吐かしむ。
早池峯(はやちね)はすでに雲際に結晶すれども
わが詩の稜角いまだ成らざるを奈何にせん。004
わづかに杉の枯葉をひろひて
今夕の炉辺に一椀の雑炊を煖めんとす。
敗れたるもの卻て心平らかにして
燐光の如きもの霊魂にきらめきて美しきなり。
美しくしてつひにとらへ難きなり。
 
この年、秋、花巻町から郊外の太田村山口に移り住んだ光太郎。鉱山の飯場小屋だった建物を村人の協力で移築してもらい、7年間の孤独な山小屋(高村山荘)暮らしを始めました。北川太一先生曰く「生涯で最も鮮烈な冬」。その山小屋での冬を謳った、記念すべき第一作です。右上の画像は、昭和23年(1948)冬に撮影された光太郎の山小屋です。
 
この詩を刻んだ碑が、のちに山小屋近くに建てられ、毎年5月15日には、この碑の前の広場で光太郎を偲ぶ高村祭が行われています。
 
イメージ 10
 
イメージ 11
 
こちらは30年程前、初めてここを訪れた時に撮影したものです。3月下旬でしたが、日陰にはまだ膝まで雪が残っていました。