昨日は新宿方面に行って参りました。
 
用件は二つありましたが、まずは新宿文化センター小ホールで開かれた、中村屋サロン美術館開館記念講演会「中村屋サロンの芸術家たち」を拝聴。
 
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講師は大原美術館館長にして美術史家の高階秀爾氏でした。
 
スクリーンを使って画像を大きく提示しつつ、碌山荻原守衛をはじめ、新宿中村屋に集った芸術家たちのプロフィール、作品、美術史的位置づけなどを非常に分かりやすくお話下さいました。
 
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光太郎については、明治43年(1910)に書かれた評論「緑色の太陽」を軸に、同時代の美術家に与えた影響の大きさを語られました。
 
「緑色の太陽」は、日本初の印象派宣言ともいわれるもので、以下のような部分があります。
 
 僕は芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めてゐる。従つて、芸術家のPERSOENLICHKEITに無限の権威を認めようとするのである。あらゆる意味に於いて、芸術家を一箇の人間として考へたいのである。
 
 人が「緑色の太陽」を画いても僕は此を非なりとは言はないつもりである。僕にもさう見える事があるかも知れないからである。「緑色の太陽」がある許りで其の絵画の全価値を見ないで過す事はできない。絵画としての優劣は太陽の緑色と紅蓮との差別に関係はないのである。この場合にも、前に言った通り、緑色の太陽として其作の格調を味ひたい。
 
その他、柳敬助、戸張孤雁、斎藤与里、中村彝、鶴田吾郎らについて詳述。特に中村彝の画風に見られるルノワールの影響などのお話は、非常に興味深いものでした。
 
また、中村屋サロン美術館さんからのお知らせもありました。現在開催されている開館記念特別展「中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―」は来年2月までですが、その後、サロンを形成した作家一人一人を取り上げていくとのこと。
 
次回企画展は柳敬助を中心にするそうです。柳といえば、やはり光太郎と親しく、また、妻の八重は日本女子大学校での智恵子の先輩。光太郎と智恵子が知り合うきっかけを作った一人です。これも観に行かなければ、と思いました。
 
いずれ光太郎も単独で扱っていただきたいものです。
 
さて、開館記念特別展「中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた」。まだ御覧になっていない方は、ぜひ足をお運びください。光太郎の油絵「自画像」、ブロンズの「手」「裸婦坐像」が展示されています。
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月2日
 
昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山口小学校で、開校記念日の学芸会が行われ、光太郎が寄贈した式場用幔幕が披露されました。
 
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光太郎がデザイン案を出した校章が大きく染められています。この日の児童向け光太郎講話から。
 
 幕に染めた『校章』のことですが、『校章』は学校の印で、帽章としても使われますが、山口の学校の『校章』を、さて何にしようと考えて、結局、栗を採り入れることにしました。
 栗はここの名産です。栗の実は食べるとおいしい。栗はおいしいものの代名詞で、うまいものを栗のようだというくらいです。木は硬くて長持ちします。それに、玉の中央から上に伸びているのは雌しべで、これから大きくなるという意味です。実はふっくらと丸いのがいいのです。
 栗のことを思つていたら、、みなさんの顔も栗の実のようにつやつやして見えます。
 そういうわけで、これを採り入れたのです。
(浅沼政規著『山口と高村光太郎先生』平成7年(1995)㈶高村記念会より)