先週22日の土曜日、長野県白馬村を震源に起こった最大震度6弱の長野県北部地震。負傷された方が出たり、建造物の倒壊があったりと、心が痛みますが、亡くなった方がいなかったというのが何よりでした。
昨日の『信濃毎日』さんの報道です。
善光寺の仁王像が破損 「吽形」衣の先端折れる
長野市の善光寺で26日までに、仁王門にある仁王像の一部が壊れているのが見つかった。県北部で22日夜に起きた地震の影響とみられ、善光寺は今後、修復する。
仁王像は、向かって左側が口を開けた「阿形(あぎょう)」、右側が口を閉じた「吽形(うんぎょう)」。善光寺事務局によると、壊れていたのは吽形がまとう細長い衣「天衣(てんね)」の先端部分。寄せ木造りの接ぎ目付近で折れ、長さ1メートルほどの天衣の先端部分が地面に落ちた。
現在の仁王門は1918(大正7)年に再建されたもので、仁王像はそれに合わせて造られた。彫刻家の高村光雲(1852〜1934年)と、弟子の米原雲海(1869〜1925年)の合作。文化財には指定されていない。
大事にはいたらずに済んだようでよかったと思います。この像は一丈六尺、5メートル近い像ですので、倒れれば山門自体も大破したでしょうし、人が下敷きにでもなったら、ひとたまりもありません。
ちなみにこちらが開眼当時のお姿。古絵葉書です。
足もとのこの部分が、バッキリいってしまったようですね。
まずは被災した方々の支援でしょうが、そのあたりが落ち着いたら、きちんとした修復が為されることを望みます。
しかし、記事を読んで気になったのは、最後の「文化財には指定されていない。」の一言。
たしかにその通りです。というか、光雲の代表作の一つ、「老猿」は国の重要文化財に指定されていますが、それ以外にあまたある、光雲作の仏像、銅像などの類で文化財指定がされているものはほとんどないのではないかと思います。有名な「西郷隆盛像」や「楠正成像」ですらそうです。光雲作に限らず、近代の仏像、銅像で文化財指定を受けているものは、やはりほとんどありません。
まだ「新しい」という感覚なのかも知れません。しかし今年は元号に換算すれば明治147年、大正103年、昭和89年です。そろそろ近代の作品も、どんどん文化財指定対象として考えていい時期ではないのでしょうか。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月28日
昭和24年(1949)の今日、山形市美術ホールで開催されていた「智恵子遺作切抜絵展覧会」が閉幕しました。
戦時中、焼失を懼れ、光太郎は智恵子の紙絵を山形、茨城取手、そして花巻の三ヶ所に分けて疎開させていました。そのうち山形の真壁仁に預けられたものの中から作品を選択、この展覧会が開催されました。
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