一昨日、中野鷺ノ宮で、「語り同人《じゃがいも》001」主宰の麦人氏による「一人語り『智恵子とゐふ女』」に行く前、午前中から国立国会図書館に行っておりました。
 
調べ物が主目的でしたが、現在、企画展示「あの人の直筆」が開催されていますので、まずそちらを拝観しました。
 
会場が新館一階とのことで、いつものように本館2階の入り口から入り、新館へ。階段で一階に下りました。しかし、会場に繋がるはずの通路が「関係者以外他通行禁止」になっていました。職員の方に訊いたところ、一度、二階の新館出口を出ないと会場に入れないとのことでした。
 
考えて見れば、企画展示だけ見に来る方のためにそうしているのでしょう。通常の利用で館内に入るには、入館証が必要で、最初に入館証を発行してもらうには面倒な手続きが必要になりますので。
 
下記は簡易図録。A5判15頁で、ありがたいことに無料でした(入場も無料です)。ネットで公開されているよりも詳細な出品目録ももらえます。
 
さて、会場へ。
 
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最初に特別展示ということで、細川ガラシャの書簡。下記は図録から採りましたが、現在は別の書簡が並んでいます。
 
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その後、おおむね時代順にいろいろな「直筆」が展示されていました。事前の告知で目玉として紹介されていた坂本龍馬や中岡晋太郎、高杉晋作などの前には結構人だかりができていました。
 
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時間があればじっくり観たのですが、あくまで調べ物がメインですので、ほとんど横目で見ながら、事前の告知で、光太郎の名があった、ほぼ最後の「署名」コーナーへ。
 
光太郎の「署名」は、昭和17年(1942)刊行の詩集『大いなる日に』でした。見返しに「美は力なり 高村光太郎 昭和十七年七月」と毛筆で識語署名。落款も押してあります。
 
署名として同館が集めたものではなく、たまたま所蔵しているものに署名が入っている、という感じのようです。実際、展示品の多くが、他の通常の所蔵品同様の扱いで、館内のPCを使ってデジタルデータとして見られます。そうなると、真贋の鑑定はどうなっているのかと少し心配になりましたが、大きなお世話でしょうか。
 

その後、主目的の調べ物。000
 
光太郎作品の集成-『高村光太郎全集』に漏れている作品の発掘が、当方の研究のメインです。一昨日は、新聞記事の中で、短い談話を二つ見つけて参りました。いずれ公にします。
 
一つは戦時中のもので、ヘイトスピーチ大好きな右翼(一昨日も議事堂周辺でマイクを持って演説していました。足を止める人もいませんでしたが)が泣いて喜びそうな内容です。こうした「負の遺産」もなかったことにせず、正しく集成せねばなりません。
 
また、当方の刊行している冊子『光太郎資料』執筆のための情報収集も行って参りました。こちらも主に戦時中で、光太郎の詩の中には、数は少ないのですが、歌曲の歌詞として作られたものがあり、それらがどのような経緯で作曲され、公にされたかといった部分が十分に解明されていません。こちらも「負の遺産」的な側面が強いのですが、そのあたりに光を当てることも重要だと考えています。
 
今、調べているのは昭和16年(1941)に作られた「新穀感謝の歌」。信時潔の作曲で独唱歌曲や合唱曲になったり、能の二世観世喜之が謡曲として節附をしたりしています。そのあたりの事情もだいぶわかってきました。こちらもいずれ公にします。
 
さて、企画展示「あの人の直筆」。今月18日までです。ぜひ足をお運びください。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月7日
 
大正14年(1925)の今日、宮城県志田郡荒雄村(現・大崎市)で、光雲の代作「青沼彦治銅像」の落成式が行われました。
 
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像自体は戦時中の金属供出で現存しません。現在は台座と、除幕当時の石の銘板、戦後新たに作られたレリーフが残っています。
 
高さ八尺。これほどの大作は光太郎にしては稀有で、この後、これに近いサイズで作られたのは、四半世紀を経た戦後の「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」です。