昨日も上京して参りました。まず午前中から国会000図書館へ。開催中の「国立国会図書館平成26年度企画展示 あの人の直筆」を拝観、さらにいろいろと調べ物をして参りました(明日、レポートします)。
 
夕方から中野の鷺ノ宮にて、「語り同人《じゃがいも》」主宰の麦人氏による「一人語り『智恵子とゐふ女』 」を観せていただきました。
 
会場は西武新宿線鷺ノ宮駅近くの「じゃがいも村」。30席ほどのアングラスペースでした。看板に気づかず、一度、前を通り過ぎてしまいました(笑)。狭い空間で、舞台と客席の距離も非常に近く、一体感のある作りでした。
 
午後4時開演。いったん、客席を含め全ての照明が暗転し、再び点いた時には舞台中央、踏み台に腰かけた麦人氏。丸眼鏡をかけ、襟なしのバンドカラーシャツに半纏、晩年の花巻郊外太田村時代の光太郎を意識したであろういでたちです。
 
「亡き人に」をはじめ、次々と光太郎詩を語られていきます。台本を手に読むわけではないので、「朗読」というわけではなく、舞台上を大きく動き回りもされないので、「芝居」とも言えず、「語り」と分類するしかない、一風変わったジャンルでした。
 
 
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扱われた詩は、『智恵子抄』、『智恵子抄その後』を中心におよそ20篇。全篇、台本を見ずほぼ正確に語られ、感心しました。合間に状況を説明するため、やはり光太郎の散文「智恵子の半生」や「智恵子の切抜絵」、「九十九里浜の初夏」などから、こちらは換骨奪胎ですが、それでも長い語りが入りました。詩にしても説明の部分にしても、まるで光太郎自身が語っているような雰囲気が醸し出されていました。
 
当方、今までに、女性による「智恵子抄」の朗読は何度も聴いてきましたが、男性の、しかもこの年代(麦人氏は古稀)の方の「智恵子抄」を聴くのは初めてでした。女性の澄んだ美しい声による朗読もいいものですが、ある意味無骨な麦人氏の「語り」も、実にリアルに感じました。客席で、当方の前に座られていた女性客、お二人ばかりはハンカチで涙を拭いながら聴かれていました。
 
こちらの公演、9日(日)までです。この種のものとしてはロングランですね。まだ空席があるかも知れません。麦人氏サイトに申し込み方等が記載されていますので、ご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月6日
 
明治30年(1897)の今日、光雲が古社寺保存会委員に任ぜられました。