千葉県八千代市からのイベント情報です。
「宮沢賢治展 新発見自筆資料と「春と修羅」ブロンズ本」
日 時 : 2014年11月8日(土)10:00~17:00・9日(日)10:00~17:00
場 所 : 秀明大学 1201・1202・1205教室 千葉県八千代市大学町1-1
詩や童話を中心に、数々の名作を世に残した日本近代文学を代表する作家、宮沢賢治。
今回の展覧会では、たくさんの人々に愛されている賢治の自筆書簡をはじめ、貴重な初出資料を一般公開します。詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』が刊行されて90年。この展覧会を通して賢治の世界観に触れ、賢治の魅力を感じてください。
会場には喫茶コーナーやグッズ販売もございます。
今回の展覧会では、たくさんの人々に愛されている賢治の自筆書簡をはじめ、貴重な初出資料を一般公開します。詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』が刊行されて90年。この展覧会を通して賢治の世界観に触れ、賢治の魅力を感じてください。
会場には喫茶コーナーやグッズ販売もございます。
主な展示品
・宮沢賢治新発見自筆資料
・宮沢賢治新発見スナップ写真
・『春と修羅』ブロンズ本/『注文の多い料理店』署名本
・宮沢賢治生前初出雑誌
・「雨ニモマケズ」棟方志功自刻版画
・宮沢賢治とゆかりの詩人・歌人の稀覯本
石川啄木『一握の砂』尾崎行雄宛署名本 高村光太郎『道程』特装本
萩原朔太郎『月に吠える』無削除版 草野心平『第百階級』著者校正本
中原中也『山羊の歌』三好達治宛署名本 など
関連行事
講演「祖父・清六から聞いた宮澤賢治」 宮澤和樹氏(林風舎代表取締役)
11月9日(日) 13:00~14:00
秀明大学さんの学園祭・「飛翔祭」中のイベントです。
学長の川島幸希氏は、稀覯本コレクターとして有名な方で、当方も購読している『日本古書通信』というマニアックな雑誌に「懐かしき古本屋への讃歌」という連載をお持ちです。以前は同誌で「私がこだわった初版本」という連載もされていました。
目玉は賢治の新出資料です。今年9月にその発見が報じられています。
作家で詩人の宮沢賢治(1896~1933年)が友人に宛てた書簡などの未発表資料11点が見つかった。古書収集家の川島幸希秀明大学長が24日発表した。大妻女子大の杉浦静教授は「賢治が宗教に傾倒するなど大きな転機を迎えた1918年前後の消息を示す貴重な資料」と話している。
発見されたのは、盛岡高等農林学校の同級生だった成瀬金太郎氏に16~20年にかけて送ったはがきや在学中のスナップ写真など。昨年、東京都内の古書店で入手した。
19年9月21日付のはがきでは、南洋ポナペ島(現ミクロネシア連邦ポンペイ島)在住の成瀬氏に、半紙刷50枚の宗教童話の頒布を依頼。法華経に傾倒し始めた当時の信仰心の強さが読み取れる。
一方、18年4月18日付の封筒には「(同封の絵はがきを)途中デヌスムモノガアッタラヒドイメニアワセテヤリマシャウ」と記し、「聖人君子のイメージが強い賢治の、おちゃめな一面ががうかがえる」(杉浦教授)。
このほか、背表紙を自ら塗りつぶしたとみられる「春と修羅」の単行本も発見された。同書を「心象スケッチ」と称した賢治は、背表紙に詩集と記されたことが不満で、ブロンズの粉で文字を消したと別の友人に伝えていた。発見された本は書名や著者名まで粉が塗られ、川島学長は「それだけ否定したい気持ちが強かったのでは」としている。
資料は11月8、9日に秀明大学(千葉県八千代市)で開かれる宮沢賢治展で一般公開される。(2014/09/24-20:00 時事ドットコム)
発見されたのは、盛岡高等農林学校の同級生だった成瀬金太郎氏に16~20年にかけて送ったはがきや在学中のスナップ写真など。昨年、東京都内の古書店で入手した。
19年9月21日付のはがきでは、南洋ポナペ島(現ミクロネシア連邦ポンペイ島)在住の成瀬氏に、半紙刷50枚の宗教童話の頒布を依頼。法華経に傾倒し始めた当時の信仰心の強さが読み取れる。
一方、18年4月18日付の封筒には「(同封の絵はがきを)途中デヌスムモノガアッタラヒドイメニアワセテヤリマシャウ」と記し、「聖人君子のイメージが強い賢治の、おちゃめな一面ががうかがえる」(杉浦教授)。
このほか、背表紙を自ら塗りつぶしたとみられる「春と修羅」の単行本も発見された。同書を「心象スケッチ」と称した賢治は、背表紙に詩集と記されたことが不満で、ブロンズの粉で文字を消したと別の友人に伝えていた。発見された本は書名や著者名まで粉が塗られ、川島学長は「それだけ否定したい気持ちが強かったのでは」としている。
資料は11月8、9日に秀明大学(千葉県八千代市)で開かれる宮沢賢治展で一般公開される。(2014/09/24-20:00 時事ドットコム)
おまけで(笑)、光太郎や草野心平ら、賢治ゆかりの文学者の稀覯本が展示されます。光太郎は『道程』の特装本。おそらく、先にご紹介した『日本古書通信』の、一昨年4月号で、川島氏が紹介なさっていた、光太郎の識語署名三カ所、三方金、桐箱入(箱書・佐藤春夫)の小数部作られた私家版? だと思われます。
心平の『第百階級』(昭和3年=1928)は光太郎が序文を書いていますし、中也の『山羊の歌』(昭和9年=1934)は光太郎の装幀、題字揮毫です。
賢治の弟で、光太郎・心平ともども、賢治作品を後世に伝える大きな役割を果たした故・宮澤清六氏の令孫に当たる和樹氏のご講演も貴重な機会です。
ぜひ足をお運び下さい。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月4日
昭和30年(1955)の今日、筑摩書房版『宮澤賢治全集』の装幀を終えました。
先述の『山羊の歌』など、文学史に残るさまざまな書物の装幀を手がけた光太郎の、最後の装幀作品です。
詳細な指示書も残っています。
「賢さ」は岩手の方言で「賢さん」。光太郎の、岩手で足かけ8年暮らした体験が生きています。ちなみに表紙に「空押し」という技法で陰刻されています。
刊行は翌昭和31年(1956)4月25日から32年(1957)にかけて。光太郎没後のことです。巻数の漢数字は、「六」まで光太郎が書いておきましたが、同全集、全十一巻です。では、「七」以降はどうしたのか、というと、草野心平が光太郎の筆跡を真似て書きました。
この一事をとっても、光太郎、心平、賢治、三人の深い絆が見て取れますね。