「芸術の秋」ということで、いろいろなイベントが目白押しです。幸い、光太郎智恵子に関するイベントもかなりあって、ありがたいかぎりです。
それらのご案内、行ってみてのレポート、さらには新刊書籍でも光太郎智恵子に関するものが続々出ています。そんなこんなで、このブログ、今のところの構想では、半月先まで書く内容が決まっています。一気に紹介するのも大変ですし、逆にネタ切れになってしまうのも怖いので……。
そう思って情報を小出しにしていたら、チョンボをやってしまいました。下記イベント、開催はまだ先なのですが、申し込み〆切が過ぎてしまいました。ただ、まだ定員に達していない可能性もありますので、ご紹介します。
郷土文学講座 高村光太郎・智恵子と千葉県
日 時 : 2014年11月8日(土) 10:00~12:00
会 場 : 千葉市立稲毛図書館 千葉市稲毛区小仲台5-1-1
講 師 : 中谷順子さん(日本ペンクラブ会員・詩人)
定 員 : 30人
対 象 : 千葉市民(在勤・在学者含む)
講師の中谷さんは、地方紙『千葉日報』に「房総の作家」を連載されています。平成21年(2009)から22年(2010)にかけては、光太郎も取り上げて下さいました。また、その後すぐ書かれた水野葉舟の項でも光太郎にふれています。
申し込み〆切が昨日でした。定員30名と少ないのですが、対象が在勤・在住を含む千葉市民限定です。まだ空きがあるかも知れません。希望される対象の方、問い合わせてみて下さい。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月23日
昭和28年(1953)の今日、青森市野脇中学校で催された文芸講演会で講演をしました。
この2日前が十和田湖畔の裸婦像(通称「乙女の像」)の除幕式で、その流れです。
像の建立に協力した佐藤春夫、菊池一雄、草野心平、像を含む一帯の設計を行った建築家の谷口吉郎も演壇に立ち、豪華な講演会でした。
青森在住の彫刻家で、光太郎の肖像を作られた田村進氏はこの講演を聴かれたそうです。
講演の内容は翌月の『東奥日報』に掲載され、筑摩書房刊行『高村光太郎全集』第19巻に収められました。
注目すべきは、この中で「乙女の像」という語が既に使われていること。
地元十和田の十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんで、像の建立60周年や十和田湖国立公園指定80周年ということで、『乙女の像ものがたり』(仮題)という書籍を編集中です(当方も一部執筆させていただきました)。その流れで、ボランティアの皆さんの中で、「乙女の像」という愛称がいつから使われているのか? といった疑問が出、故・髙村規氏や北川太一先生に質問されたりもしていました。
はっきりしたことは分かりませんが、除幕された昭和28年(1953)の段階で、すでに「乙女の像」の語が使われていたことは、上記光太郎の講演で分かります。ただ、定着するのはもっと後のようですが。
また、この像、「みちのく」という愛称もあります。こちらは昭和28年(1953)7月1日発行の『毎日グラフ』に載った、中野のアトリエ訪問記の題名が「“みちのく”の女神」となっており、もっとも古い使用例と思われます。
また、昭和31年(1956)、『サンデー毎日』や『家の光』に載った光太郎の追悼記事では、像の写真に「みちのく」というキャプションが付けられています。