先日、5日に福島二本松行われた智恵子忌日の集い「レモン忌」を報じた『福島民報』さんの記事コピーを、主催の智恵子の里レモン会さんから戴きました。
他紙、または『福島民報』さんでも他に光太郎智恵子がらみの記事が出ていないかと思い、昨日、当方の住む香取市の隣・成田市立図書館に行って参りました。同館では復興支援として、、『福島民報』、『福島民友』の2紙が開架で置いてあります。
ところが、主に原発事故による避難生活を余儀なくされている人のための措置ですので、原発のある浜通り地区の版で、二本松を含む中通り地区の記事はあまり多くありませんでした。レモン忌の記事も中通り地区の版にしか載らなかったようです。
そんな中で見つけたのが、菊人形の記事。さすがにこちらはいろいろ報じられていました。その中で、智恵子(と思われる)の人形が写っている記事がありました。やはり『福島民報』さんで、まだ開幕前の、作業中の写真です。
二本松の菊人形出番待つ 11日開幕、着付け始まる
福島県二本松市の県立霞ケ城公園で11日に開幕する「二本松の菊人形」の人形の着付けが始まった。台風一過となった7日、早朝から菊が次々と搬入され、主催する二本松菊栄会の菊師らが、約40体の人形に、丁寧に小菊を飾り付けた。
「二本松の菊人形」は60回の記念開催となる。二本松城築城600年の節目の年とも重なることから、「にほんまつヒストリア」をテーマに地域の歴史に焦点を当てる。「二本松の提灯祭り」「二本松少年隊」のほか、詩集「智恵子抄」で知られる同市出身の高村智恵子・光太郎夫婦など全8場面に分けて表現する。
例年の菊花展ゾーンに加え、ガーデンゾーンも新設する。NHKのテレビ番組「趣味の園芸」でおなじみのガーデンデザイナー・玉崎弘志さんに監修を依頼し、菊を魅力的に展示する。
問い合わせは二本松菊栄会事務局 電話0243(55)5122へ。
「二本松の菊人形」は60回の記念開催となる。二本松城築城600年の節目の年とも重なることから、「にほんまつヒストリア」をテーマに地域の歴史に焦点を当てる。「二本松の提灯祭り」「二本松少年隊」のほか、詩集「智恵子抄」で知られる同市出身の高村智恵子・光太郎夫婦など全8場面に分けて表現する。
例年の菊花展ゾーンに加え、ガーデンゾーンも新設する。NHKのテレビ番組「趣味の園芸」でおなじみのガーデンデザイナー・玉崎弘志さんに監修を依頼し、菊を魅力的に展示する。
問い合わせは二本松菊栄会事務局 電話0243(55)5122へ。
福島民報 10月8日(水)
ところで「新聞記事」といえば、先頃相次いで全国紙にも光太郎の名が出ました。イベントなどの速報的な記事ではないので、すぐには紹介しませんでしたが、ここらでまとめて紹介します。
『朝日新聞』さんの今月2日の記事。教育面の連載、「おやじのせなか」です。
各界著名人がご自分の父親について語るもので、この日は福島在住の詩人、和合亮一さん。以前にレモン忌で記念講演をされたこともあります。
最後をこのように結んでいます。
高村光太郎の「道程」に「常に父の気魄を僕に充たせよ」との一節があります。父の気迫を受け継いでも、超えたいとは思わない。むしろ超えたくない、超えなくていいんです。
そう思わせる立派なお父様なのですね。
ちなみに和合さん、以前にも『朝日新聞』さんに光太郎がらみで載りました。こちらです。
続いて9日の『日本経済新聞』さん。
こちらも連載で「文豪が愛した美術十選」の第7回で「高村光太郎「手」」。
光太郎の代表作の一つで、大正7年(1918)頃の作です。最初に鋳造されたもののうちの一つが、自裁直前の有島武郎に贈られました。有島歿後は秋田雨雀の手に渡り、それを林芙美子が見たというわけです。
当方、寡聞にして『放浪記』に光太郎の名が出て来るとは知りませんでした。調べてみると、確かにこういう記述があります。
二階の秋田さんの部屋には黒い手の置物があった。高村光太郎さんの作で、有島武郎さんが持っていらっしたのだとかきいた。
いろいろな人物がいろいろなところで繋がっているものですね。
さて、この頃は地方紙の記事もかなりネットで読むことができるようになっています。しかし、全ての記事がアップされるかというとそうでもありません。実際、上記レモン忌の記事はネットでは見つかりませんでした。「私のところの新聞にこんな記事が出たよ」というのがありましたら、ご教示いただけると幸いです。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月18日
平成10年(1998)の今日、新宿のスペース・ゼロで、鍵田真由美、佐藤浩希のフラメンコ「レモン哀歌〜智恵子の生涯〜」が上演されました。
能楽とのコラボレーションで、この年度の文化庁芸術祭新人賞に輝いています。