青森十和田から、湖畔の観光交流センターオープンの情報です。
これは、昨年破産した遊覧船会社が所有していた遊覧船ターミナルを市が取得、新たに整備を進めてきたものです。
以下、9/29付の十和田市HP内の新着情報から。
十和田市十和田湖観光交流センター“ぷらっと”がオープンします!
十和田湖畔休屋地区に、新たな観光拠点施設「十和田市十和田湖観光交流センター」(旧十和田湖遊覧船ターミナル)が、10月8日に開館します。
この施設は、十和田湖、奥入瀬渓流などの観光に関する情報、市民との交流の場などを提供するもので、本市の魅力発信、賑わい創出など観光振興を図ります。
皆様のお越しを心よりお待ちしております。
1 名 称 十和田市十和田湖観光交流センター“ぷらっと”
※広報とわだなどで当施設の愛称を一般公募したところ、121件という多数の応募をいただき、決定したものです。
【愛称の意味】
・十和田市民や観光客が気軽に立ち寄れるような施設になってほしいとの意味。
・英語のプラットホームの意味と同様に、出発・到着の駅のホームのように、十和田湖観光の起点となることを願って命名。
2 開館期間 平成26年10月8日(水)~11月30日(日) (期間中無休)
3 開館時間 午前9時~午後5時
4 入 館 料 無 料
5 主な展示内容 ヒメマス展示、和井内貞行、高村光太郎、大町桂月の紹介など
※広報とわだなどで当施設の愛称を一般公募したところ、121件という多数の応募をいただき、決定したものです。
【愛称の意味】
・十和田市民や観光客が気軽に立ち寄れるような施設になってほしいとの意味。
・英語のプラットホームの意味と同様に、出発・到着の駅のホームのように、十和田湖観光の起点となることを願って命名。
2 開館期間 平成26年10月8日(水)~11月30日(日) (期間中無休)
3 開館時間 午前9時~午後5時
4 入 館 料 無 料
5 主な展示内容 ヒメマス展示、和井内貞行、高村光太郎、大町桂月の紹介など
さらに、本日発行の「広報とわだ」にも記事が掲載されています。
十和田湖に行かれたことのある方は、上記の地図でおわかりかと存じますが、JRバスのターミナルや遊覧船の発着場のある一角です。乙女の像、十和田神社(地図には文字がありませんが)も近くです。
当方、光太郎に関する展示の説明ボードを書かせていただきました。その関係で、建物の図面等もお送りいただきましたが、それを見るとなかなか充実した施設のようです。
1階は十和田湖特産のヒメマスに関する展示、2階に光太郎や大町桂月などに関する展示、さらに「交流室」という部屋が設けられ、一般の団体に貸し出しを行うとのことです。
光太郎に関して展示されるのは、青森県立郷土館にあった乙女の像のブロンズ小型試作(昭和28年=1953に光太郎から青森県に寄贈されたものです)、奥入瀬渓流館で展示されていた光太郎作の大町桂月メダル、乙女の像序幕の際に、工事責任者だった元青森県土木技師の小山義孝氏に贈られた、光太郎、佐藤春夫、草野心平他の寄せ書きなどなど。
その他、佐藤春夫や大町桂月の書、平福百穂の日本画なども展示される予定です。
オープンは来週10月8日(水)。11時頃から式典を行い、12時頃から一般開放だそうです。せっかくの機会ですので、当方、前日から1泊で行って参ります。
そろそろ紅葉シーズン。みなさまもぜひ足をお運び下さい。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月1日
昭和23年(1948)の今日、花巻郊外太田村の山小屋に、村人たちの厚意で風呂が設置されました。
佐藤隆房編著『高村光太郎山居七年』より。
先生は風呂がなくてお困りだろう、何とかして風呂場を建てて上げたいものだと、身のまわりを考える人たちが相談しました。だんだん話がすすみ、部落の人たちで材料を持寄って風呂場を建てて上げることになり、花巻の宮沢清六さんは風呂桶を贈りました。
風呂桶は花巻で一番上手だという大橋桶屋さんに清六さんが頼み、ヒノキのいい材料を用いて作りあげ、その年の秋の頃風呂場が完成しました。
当日の光太郎日記から。
朝食時宮澤清六氏夫人、桶屋さん(大橋氏)同道来訪。宮澤さんより醤油、酢(小瓶)、豆飯(お重に一ぱい)いも煮つけ、つけもの(辛づけ等)等をもらふ。桶屋さんは小判桶持参。丁度大工さんが来たので、桶屋さんと相談して風呂桶の位置、流しの高さ等を決めた様子。
ひる前に余は揮毫。桶屋さん(大橋大人)の為に「木竹諧和」と書き宮崎鯉軒翁喜寿の為に「天地寿」と書く。 一時頃夫人桶屋さん辞去。大工さんも仕事を終つてかへる。風呂場は戸も備へられ、窓わくもはめられる。(ガラスはまだ)。流し場も出来て沸すばかり。余は「無可有殿」といふ字を紙に横書きして入口に貼る。
しかし、せっかくの風呂も、薪を大量に使わねばならないため、光太郎はそれをもったいながり、結局はあまり使われませんでした。現地には今も残っています。
桶屋さんに贈った「木竹諧和」の書はこちらです。
ヒノキ材に竹の箍(たが)をはめた風呂桶へのお礼ということで「木竹」です。「諧和」はやわらいで親しみあうこと。
その後に出てくる「宮崎鯉軒翁」は智恵子の姪にしてその最期を看取った春子の舅・宮崎仁十郎です。