光太郎の父、光雲に関し、先日ご紹介した内容の追補です。
まず、今月初めにご紹介した「シンワアートオークション 近代美術」が27日の土曜日に開催されました。光雲作の木彫「大黒天」が出品され、落札価格は¥7,400,000とのこと。
7月にあった同じシンワさんのオークションでは、やはり光雲作の木彫聖観音像が1000万超での落札でしたので、それよりは安いものの、やはり凄い金額ですね。
続いて、先週ご紹介した静岡の可睡斎という寺院に関するニュース。先週は『静岡新聞』さんの報道をご紹介しましたが、『産経新聞』さんの静岡版でも報じられました。
日清交友の歴史、「活人剣碑」再建へ 静岡・袋井の有志が寄付募る
日清戦争当時の清国全権大使・李鴻章(り・こうしょう)と陸軍軍医総監・佐藤進の絆を現代に伝える、寺院「可睡斎」(袋井市久能)の「活人剣碑」。現在は台座のみが残されているが、地元の有志により再建が計画されている。来年9月までに寄付を募って完成を目指す方針で、関係者らは「日清両国の交友の歴史を知ってもらうことで、現代の日中友好にも役立つのでは」と期待している。
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日清戦争の講和条約の交渉が下関で行われていた明治28(1895)年3月、清国全権大使の李鴻章が暴漢にピストルで襲われ、左目を負傷する事件が発生。陸軍軍医総監の佐藤進は、明治天皇の勅命を受けて李の治療に当たった。治療を通じて佐藤と交友を深めていた李が、常に軍服帯刀姿で治療する佐藤に「戦い方を知っているのか」と戯れかけると、佐藤は「私が手にする刀は殺人刀ではなく、活人刀だ」と即答。李はこの返答に感じ入り、別れに際して清の光緒帝からの褒章を約する詩を佐藤に贈った。
李と佐藤の交友は、「活人刀」の問答として新聞紙上で大いに評判を呼んだ。佐藤が参禅していた縁もあり、可睡斎の日置黙仙斎主(当時)は「この話を長く後世に伝えたい」と発願。敵も味方もともに平等であるという「冤親(おんしん)平等」の思想のもとに浄財を募り、明治31年ごろに日清両国の戦没者の霊を弔う活人剣碑を建立した。
碑には高村光雲が製作した長さ約4メートルの軍刀が安置されていたが、金属製であったため太平洋戦争の際に供出された。現在は台座のみが残されており、碑の前で足を止める人はまばら。可睡斎の僧侶、吉井敬晴(けいせい)さん(49)も「碑にまつわる言い伝えはあったが、その価値があまり知られていなかった」と振り返る。
再建のきっかけとなったのは、地域の文化財を再発見する「袋井まちそだての会」の活動だ。数年前から活人剣碑の調査を進め、建立時と同じく寄付を募って再建することを決めた。同会事務局長の鈴木敬雄さん(67)は「戦争当時は日清両国で多くの戦没者が出たが、戦争の歴史の上に現在の平和があることを知ってほしい」と話した。
剣の製作は金属工芸家で東京芸術大学学長の宮田亮平氏に依頼しており、碑の再建には総額3千万円ほどがかかる見込み。一口1千円から寄付を受け付けている。問い合わせは「活人剣碑」再建委員会(電)0538・42・2121。
当方、先週の『静岡新聞』さんの報道を読み、早速、当時の絵葉書をネットで購入しました。
記事にもある通り、太平洋戦争中の金属供出で、もはや見ることができないものです。
かなり前のこのブログで書きましたが、同じく金属供出で失われた光雲、光太郎の彫刻がかなりありました。
光雲でいえば、明治39年(1906)、熊本の水前寺公園に建てられた長岡護全銅像。東京向島にあった西村勝三像(明治39年=1906)、秋田県仙北にあった坂本東嶽像(大正12年=1923)もそうです(西村像、坂本像についてはこちら)。
他にも制作された記録や写真はあるものの、現存しない光雲作の銅像のうち、金属供出のため無くなったものもあると思われます。
光太郎でいうと、岐阜にあった浅見与一右衛門銅像(大正7年=1918)、宮城にあった青沼彦治像(大正14年=1925)。これらはいずれも光雲の代作です。また、千葉県立松戸高等園芸学校(現・千葉大学園芸学部)に据えられた赤星朝暉胸像(昭和10年=1935)は、完全に光太郎のクレジットでした。
こういう愚かな歴史は繰り返してはいけませんね。
ところが、同じ銅製の彫刻でも、光雲作の仏像の類は、いまだに主に東京の多くの寺院に残っているのです。いずれ暇をみつけて見て歩こうと思っています。やはり仏像を供出したり鋳つぶしたりということには抵抗があったのでしょうか、狂気の戦争の時代にも、良心が見て取れます。しかし、仏像ではなく梵鐘はかなり金属供出の対象になったという話を聞きます。銚子にある当方の親戚の寺院でもそうでした。
ところで、銅像の類はなかなか文化財指定が成されていないのが現状です。そろそろ設置場所の各自治体で、そのあたりを考慮してほしいものですね。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月30日
昭和31年(1956)の今日、角川文庫の一冊として「高村光太郎詩集」が刊行されました。
編集は草野心平です。
同じ角川文庫のラインナップに『道程 復元版』が既にあったため、こちらは『道程』以後の詩作品を収録しています。