昨日、青森は十和田の方々と、東京千駄木の高村光太郎記念会事務局長北川太一先生、そして故・高村規氏のお宅にお伺いして参りました。
 
以前にご紹介しましたが、昨年12月に破産した十和田湖観光汽船(青森市)が所有していた湖畔休屋の遊覧船ターミナルを十和田市が取得、十和田湖に関連した歴史・文化を紹介するスペースを新たに開設することになりました。
 
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7月にはその愛称募集が始まり、今月に入って、十和田市のHPで、愛称決定の旨、報じられています。

十和田市十和田湖観光交流センターの愛称決定について

多くのご応募をいただき、ありがとうございました。
6月下旬~7月25日まで公募していました十和田市十和田湖観光交流センターの愛称について、平成26年8月25日に選考委員会を開催し、応募作品(121件)の中から、ふさわしいと思われる愛称を選考いたしました。
1 愛 称   ぷらっと
2 愛称の意味
  ・十和田市民や観光客が気軽に立ち寄れるような施設になってほしいとの意味。
  ・英語のプラットホームの意味と同様に、出発・到着の駅のホームのように、
   十和田湖観光の起点となることを願って命名。
3 提案者氏名
  ・吉田 様(秋田県秋田市)
  ・内河 様(神奈川県相模原市)
4 選考評
  ・呼びやすい。
  ・親しみやすい。
  ・気軽に立ち寄ってもらえそう。
5 その他
  ・愛称のすべての権利は、十和田市に帰属します。
  ・愛称は、施設のPR等に活用し、親しみのある施設運営を目指します。
【問い合わせ先】
〒034-8615 十和田市西十二番町6-1 十和田市 観光商工部 観光推進課 観光施設係
 TEL 0176-51-6771 FAX 0176-22-9799

その後、ネットにはこれ以上の情報が出ていませんが、10月8日(水)オープンの予定だそうです。
 
さらに、「十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会」さんが主体となり、十和田湖畔の裸婦群像(通称「乙女の像」)の建立60周年記念誌、『乙女の像のものがたり』(仮題)が、今年12月に刊行予定だそうです。
 
そのための写真等を拝借、さらに高村家には了承を求めるといった意味合いで、両家を御訪問、双方の事業に関わらせていただいている当方も、道案内を兼ねて同行いたしました。
 
まずは千駄木二丁目の高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生のお宅にお伺いしました。事前に十和田市の方から、こういう写真などを借りたいという連絡が入っていて、いろいろご準備して下さっていました。
 
「乙女の像」に関わる写真だけでも300枚ぐらいはあるのではないかと思いました。さまざまな制作段階の写真、小型、中型、手のそれぞれの試作をあらゆる角度から撮影したもの、関係者の集合写真、除幕式や除幕直後のようすなどなど。これまでに刊行された書籍に使われていないものがほとんどでした。

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特に興味深かったのは、鋳造を担当した伊藤忠雄の工房で、十和田湖に作られる台座と同じサイズの木枠を作り、二体の位置関係を試行錯誤しているもの。確かにこういう作業をしないことには、いきなり現地で設置できませんが、「こんなことをやっていたんだ」という感じでした。
 
これらは十和田湖畔にオープンする「ぷらっと」の展示、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さん刊行の『乙女の像のものがたり(仮題)』に使われるわけです。
 
続いて、同じ千駄木の五丁目にある、髙村家に004お邪魔しました。明治25年(1892)に、光雲一家が谷中から移って以来、住み続けた場所です。光太郎も明治45年(1912)に近くにアトリエを建ててもらうまでここに住んでいました。その前年に、智恵子が先輩芸術家を訪問し、話を聞く一環として、光太郎と初めて出会ったのも、ここです。
 
建物自体は、戦後に建て替えられれているのですが、庭の木は光太郎が住んでいた頃にはすでにあったものです。幼い光太郎が登って遊んだという椎の木です。
 
長男の光太郎に代わって家督を継いだ、三男の豊周(鋳金家・人間国宝)の子息、規氏(写真家)が、この家を守り続けてこられましたが、この夏、ご逝去。現在は、そのご子息で、やはり写真家の達(とおる)氏がお住まいです。
 
髙村家はやはり十和田のみなさんと、昨年の11月にお邪魔して以来でした。その時には、スタジオの一角で、規氏のお話を興味深く拝聴しました。その時のお話が、インタビューの形式で、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さん刊行の『乙女の像のものがたり(仮題)』に掲載されます。ご期待下さい。
 
当方、手土産に、当方在住香取市特産の梨を持って参りました。達氏いわく、「父の好物だった」とのことで、それはよかった、と思いました。
 
今後、十和田の方々は、持ち帰った資料を整理し、展示に、記念誌の編集にと、お忙しい日々と存じます。それぞれに立派なものが出来上がるように願ってやみません。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月10日
 
昭和33年(1958)の今日、筑摩書房から『高村光太郎全集』第18巻「翻訳三」が刊行され、全18巻の刊行が完結しました。
 
その後、平成に入って、補遺巻が3巻、別巻1巻の4巻が追加された増補版が刊行されました。その際には旧刊18巻分の解題も全て書き直されました。
 
その中心になられたのが、北川太一先生。来年には満90歳になられます。まだまだこれからもお元気で、ご活躍なさっていただきたいものです。