昨日の続きです。
8/30(土)、四ッ谷の紀尾井ホールにて、合唱の演奏会「The Premiere Vol.3 〜夏のオール新作初演コンサート〜」を聴いて参りましたが、今日はまず会場に入る前の話から。
四ツ屋駅から紀尾井ホールを目指して歩いていたところ、ホールの建物のすぐ隣に、こんな看板を見つけました。
「尾張名古屋藩屋敷跡」は関係なく、左の方です。「ああ、ここが福田家さんか!」と驚きました。
福田家さんは、戦前から続く料亭で、昭和20年(1945)に紀尾井町に移転したとのこと。ここで(もっとも、建物は当時のものではなく、近代的なビルになってしまっていますが)、昭和27年(1952)の10月に、光太郎と元陸軍少尉にして栄養学者の川島四郎、詩人の竹内てるよとの座談会「高村光太郎先生に簡素生活と健康の体験を聞く」が行われ、翌年1月の『主婦之友』に掲載されました。
さらにその前後の同誌に載った「編輯室便り」から。
美しき因縁
「この世は美しいよ。やつぱりいゝことはするもんだなあ」
と感激性のH記者。老詩人高村光太郎先生を囲む座談会から先生を送つて帰社するなりひどく感心した様子で語り出した――
座談会は、千代田紀尾井町の福田家といふ旅館で開いたが、座に着いた高村先生
「僕の山の家へね、食糧不足のころ、二度も沢山の食物を送つてくれた人があるんです。紀尾井町の福田さん……この家ぢやないかな」
と感慨深さう。
女中さんに聞いてみると、やつぱり先生の推察どほり、贈主は、この五月に亡くなつた先代主人福田マチさんだつた。
福田さんは隠れた篤行で、これまでもしばしば話題になつた人、新聞か雑誌で高村先生の御生活を読んだことから、慰問品を送つたものらしい。
「お礼も云はず失礼したが……」
高村先生は滅多に書かれない筆をとつて、福田家さんのために「美ならざるなし」と色紙に認め、心からほつとした面持。
偶然選んだ会場ながら、思はぬ美しい因縁話で、かくはH記者を感心させた次第だつた。
その際に光太郎から贈られた色紙がこちらです。
上記記事、画像とも福田家さんで非売品として出した『福田マチ』(昭和28年=1953)という書籍から採りました。
見知らぬ光太郎に援助をした福田家さんの女将も偉いと思いますが、何年も経って、それを忘れないでいた光太郎も偉いと思います。実は光太郎に食糧を送ったという人はかなりの数に上ります。
そういう縁のある福田家さんが、コンサート会場紀尾井ホールのすぐ隣でした。
さて、「The Premiere Vol.3 〜夏のオール新作初演コンサート〜」。光太郎作詞、三好真亜沙さん作曲になる「女声合唱とピアノのための 冬が来た」については昨日書きましたので、他の演奏について。
昨日も書いた通り、カワイ出版さん、ジョヴァンニレコードさんの協賛、協力により、若手作曲家に作曲の場を提供し、一流合唱団の初演と楽譜出版を同時に行い、さらにライヴ録音がCD化されるという企画です。今回は、4篇の合唱組曲と、編曲が1篇、初演されました。
三好さんのもの以外に初演された合唱組曲は以下の通りです。
宮岡絵美作詞、増井哲太郎作曲 混声合唱とピアノのための「平行世界、飛行ねこの沈黙」
何度か書いていますが、当方、混声合唱をやっております。所属する団は、指導者が大中恩先生の弟子で、千葉県のアンサンブルコンテストで銀賞をいただいたこともあり、そこそこ本格的にやっています。しかし当方は不真面目な団員で、週1の練習の時にしか楽譜を引っぱり出さず、しかも楽譜を見ながら歌う習慣が身についてしまっており、「次の本番は暗譜」と言われるとお手上げです(笑)
水無田気流作詞、田中達也作曲 男声合唱とピアノのための「シーラカンス日和」
工藤直子作詞、名田綾子作曲 混声合唱とピアノのための「いのち」
工藤直子作詞、名田綾子作曲 混声合唱とピアノのための「いのち」
何度か書いていますが、当方、混声合唱をやっております。所属する団は、指導者が大中恩先生の弟子で、千葉県のアンサンブルコンテストで銀賞をいただいたこともあり、そこそこ本格的にやっています。しかし当方は不真面目な団員で、週1の練習の時にしか楽譜を引っぱり出さず、しかも楽譜を見ながら歌う習慣が身についてしまっており、「次の本番は暗譜」と言われるとお手上げです(笑)
そういう立場で聴くと、それぞれ一流合唱団( CANTUS ANIMAEさん、なにわコラリアーズさん、松原混声合唱団さん)の演奏でしたので、素晴らしいものがあり、真剣に音楽に向き合っていない我が身が恥ずかしくなりました。
特によかったのが、名田綾子さん作曲の混声合唱とピアノのための「いのち」、終曲の「もしも」。「のはらうた」のシリーズなどで有名な、工藤直子さんの詩です。
もしもいま いなくなるとしたら
ここに こうしている
「わたし」のままで いたい
もしもいま いなくなるとしたら
星のように月のように
ほんのり光っていたい
もしもいま いなくなるとしたら
あちこちを みまわして
すこし あわててみたい
もしもいま いなくなるとしたら
最後に わけしりぶって
少し笑っていたい
もしもいま いなくなるとしたら
空にむかって 大地にむかって
呼びかけていたい
あなたにあえてよかった
生まれてきてよかった
あなたに会えてよかった
生まれてきてよかった
さらに北川昇さん編曲の「花は咲く」 。東日本大震災復興支援ソングということで、繰り返しNHKさんで流れています。当方も何種類かの編曲で何度も歌いました。今さらどのように料理するのだろうと思っていたら、なんとア・カペラ(無伴奏)での編曲でした。歌うはこの日の出演合唱団全員と、三好さんを含む作曲、指揮、伴奏などを務めた方々、総勢百数十人。これも感動でした。
周囲には聴きながら涙している人もいらっしゃいました。当方も、あの日、津波に呑まれて亡くなった女川光太郎の会の故・貝(佐々木)廣さんを思い出し、目がうるみました。さらに、先頃亡くなった高村規氏、昨年亡くなった鋳金家の齋藤明氏にも思いを馳せました。
そんな思いで帰宅したところ、高村規氏の親族の方からお葉書が届いておりました。ご親族として規氏、さらに元歌手の亜留さんのご逝去が続いたことへの思い等、綴られていました。
規氏葬儀の御様子、さらににもはや引退されて公人ではなかった亜留さんの訃報、このブログで紹介すべきか非常に迷いましたが、ご存じなかった方、ご存知でも葬儀等に足を運べなかった方のためにも書くべきと判断し、書かせていただきました。情報の発信というのも、なかなか難しいものです。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月1日
明治44年(1911)の今日、智恵子が表紙絵を描いた雑誌『青鞜』が創刊されました。
昭和57年(1982)、暁教育図書さん刊行の『日本女性の歴史 大正の女性群像』という書籍から画像を採らせていただきました。
103年前ですが、いま見てもつくづく素晴らしいデザインですね。