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<朗読劇>永瀬清子の半生 自然や暮らし、平和願う心織り交ぜ 岡山の竹入さんが脚本「鬣よなびけ」 9日、津山で公演 /岡山
『毎日新聞』 2014年8月5日(火)16:16
赤磐市(旧熊山町)出身の詩人、永瀬清子(1906~95)の詩を基にした朗読劇「鬣(たてがみ)よなびけ 永瀬清子物語」の公演が9日午後3時から、津山市山下の津山文化センターである。永瀬の詩を愛する岡山市のライター、竹入光子さんが脚本を担当。数々の名作と、その背景となった永瀬の半生を伝える。【五十嵐朋子】
朗読劇は竹入さんが25編以上の詩と短章を引用・抜粋して構成し、2幕8場に仕上げた。永瀬について取材する記者が物語の進行役を担うなど、演劇の要素も織り交ぜる。
永瀬が終戦後、故郷の熊山に戻り、農業をしながら詩作に励んだ40代の頃を中心に描く。それまで夫の仕事の都合で東京などに住み、高村光太郎や草野心平といった詩人たちと交流もあった。熊山に戻り、文学界と距離ができたが、創作欲はむしろ旺盛に。敬愛した詩人・童話作家、宮沢賢治にならって「農村芸術」を志し、自然や暮らしの中で心を動かされる一瞬一瞬を書き留めた。
一方で、永瀬は社会的な活動にも精力的だった。朗読劇では、米国のビキニ環礁水爆実験による第五福竜丸の被ばく(1954年)に危機感を得た「滅亡軌道」、戦争に向かう社会の狂気を見据える「有事」など、平和を願う詩も盛り込んでいる。
竹入さんは「永瀬さんの宇宙観が広がったのが熊山。弱いもの、はかないものを大事にしていた」と話す。生前の永瀬に詩を教わったこともあるといい、「一つか二つしか詩を知らない人にも、永瀬さんの生き方が分かるように構成した」と思い入れを語った。
昨年2月に岡山市で初演し、「県北でも上演を」との依頼を受けた再演。永瀬の詩の朗読のために結成した「白萩の会」のメンバーたちが出演する。劇団や朗読グループで活動経験のある人が多く、朗々とした声を響かせる。特別出演に俳優の真実一路さん(東京都)を迎える。全編を通し、歯科医でチェロ奏者の三船文彰さん(中区)の独奏が彩りを添える。三船さんは「永瀬さんに敬意を表し、詩の良さを引き出したい」と話している。
学生1000円、一般1800円。収益金は永瀬の生家保存に役立てる。問い合わせは主催の津山文化振興財団(0868・24・0201)。
主催の津山文化振興財団産のサイトがこちら。岡山では地元出身の詩人ということで、顕彰活動がしっかり行われており、素晴らしいと思います。
「地元での顕彰活動」といえば、同じく9日(土)に、宮城女川で、第23回女川光太郎祭が開催されます。当方、昨年から記念講演を仰せつかっており、明後日から女川入りします。
昨年の様子がこちらですが、仮設の商店街を会場に、こじんまりと行っています。ネットでも特に案内等が見つかりません。
おそらく、昨年同様であれば、午後2時くらいから、女川町浦宿浜の「きぼうのかね商店街」で行われます。この世界の第一人者・北川太一先生のご講演もあるそうです。
お近くの方、ぜひ足をお運び下さい。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月6日
明治27年(1894)の今日、木彫「紅葉と宝珠」を制作しました。
現存する光太郎彫刻作品の中で、最も古いものと認定されています。「明治廿七年八月六日三枚仕上リ モミヂ 光太郎 十二才」の墨書署名が書かれています。一枚の板の表裏に彫られたもので、「宝珠」の方は翌七日仕上がりと書かれています。
戦後になって鎌倉の古道具屋から出て来たとのことですが、十二歳の少年の作にしては巧みすぎ、本当に光太郎の作か、と疑われましたが、間違いなく光太郎の作でした。
現在は東京芸術大学が所蔵、昨年全国巡回開催された「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」にも出品されました。