昨日、NHK Eテレさんの「日曜美術館 野の花のように描き続ける ~画家・宮芳平」を見ました。光太郎とも交流のあった無名の画家、宮芳平についてでした。宮に関しては、ほとんど知識がなかったこともあり、非常に興味深いものでした。
残念ながら、光太郎の名は出ませんでしたが、森鷗外との関わりが比較的大きく取り上げられていました。以前にも書きましたが、鷗外の短編小説「天寵」の主人公が宮をモデルとしています。
宮は、鷗外が審査委員長をしていた文展(文部省美術展覧会)に応募、しかし、渾身の作だったにもかかわらず落選。そこで、宮はなんと、鷗外の自宅に乗り込んで、なぜ落選なのかと問い詰めたそうです。さすがに鷗外は大人です。宮の絵はいい絵だと褒めました。大衆や審査員におもねるような絵ではない、と。結局、そういう絵ではないから入選しない、ということなのでしょうか。
当方、同じように、文展に渾身の作で応募しながら落選した智恵子を重ねて見ました。ほんの一握りを除いて、多くの画家(画家志望者)が、同じような道をたどったのではないかという気がします。審査委員長の自宅に押しかけたのは、他にいなかったと思いますが……。
その後、鷗外は宮を気に入り、作品を購入してやったり、「見聞を広めるように」と、知り合いの文化人の名刺を渡したりしたそうで、おそらく、そこで光太郎も紹介されたのではないかと推測しました。
その後、生活上の理由もあり、宮は信州に美術教師として赴任していき、そこで生徒に絵を教える中で、自身の作風も変化していきました。番組サブタイトルの「野の花のように描き続ける」は、このあたりからの作風を表しています。
さて、「日曜美術館 野の花のように描き続ける ~画家・宮芳平」。8月10日(日) 20時00分~20時45分に再放送があります。見逃した方はご覧下さい。
関連する展覧会がこちら。
期 日 : 平成26年 7月19日(土)~9月7日(日)
時 間 : 9:00~17:00 (入館受付は16:30まで)
料 金 : 一般600円(500円) 高校大学生400円(300円) 中学生以下無料
※( )内は20名以上の団体
※( )内は20名以上の団体
主催 安曇野市豊科近代美術館 (公財)安曇野文化財団 読売新聞社 美術館連絡協議会
共催 TSBテレビ信州
共催 TSBテレビ信州
当館の主要収蔵作家のひとり、画家・宮芳平(1893-1971)の生誕120年を記念した展覧会を開催します。これは茅野市美術館、練馬区立美術館、島根県立石見美術館、新潟県立近代美術館、そして当館へと巡回する宮にとって生前・没後をあわせて最大級の展覧会です。
1893年、新潟県で生まれた宮芳平は旧制柏崎中学を卒業後、父の許しを得て、1913年、東京美術学校(現東京藝術大学美術学部)に入学します。1914年、あらん限りの力をふりしぼって描いた《椿》が文展に落選し、落選の理由を聞きに文展の審査委員であった森鷗外を訪ねた縁で知遇を得ます。その後、森鷗外は宮を主人公のモデルとした短編小説『天寵』を執筆しています。同じころ、実業家であった父の死や、学生結婚、出産などで生活は困窮し、東京美術学校を退学します。貧困の生活の中、東京から柏崎、平塚へと住処を移しますが、師事をしていた洋画家・中村彝の紹介で、1923年、長野県諏訪で美術教師の職に就きます。そして、諏訪で35年間の教師生活を送ります。裕福とは言えない生活の中で、宮の家族や諏訪の自然、学校生活や個人通信誌『AYUMI』による教え子など関係した人々との心の対話が宮の画家としての歩みを支え続けました。退職後は教え子や知人からアトリエ兼住居を贈られ、終の住処を得ます。本展では、初期のロマンティシズムにあふれる作品から、諏訪の生活の中で生まれた風景や人物等の作品、さらに、晩年のローマ、エルサレム等をまわる聖地巡礼の旅により生まれた「聖地巡礼シリーズ」や「太陽シリーズ」までを展示します。油彩画に加え、素描、銅版画、ペン画を通して、純粋、誠実に芸術を求め、一心に生きた画家・宮芳平の歩みをみつめます。

【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月4日
昭和28年(1953)の今日、彫刻「大町桂月記念メダル」の制作を始めました。
十和田湖畔の裸婦群像除幕式(同年10月21日)の際、記念として、関係者一同に配布された、光太郎制作になるブロンズのメダルです。このメダルには十和田の三恩人―大町桂月、武田千代三郎、小笠原耕一―の名が刻まれ、さらに桂月の肖像をレリーフにしてあります。百五十個が鋳造されました。
この年の光太郎日記には、八月に制作を始め、翌月には完成したこと、アトリエを訪れた桂月の子息が「亡父によく似ている」と語ったことなどが記されています。この後に取りかかった「倉田雲平胸像」は未完のまま絶作となったため、完成した彫刻としては、このメダルが光太郎最後の作品です。
現在、石膏原型は高村家に残り、各種企画展にはこちらが出品されています。鋳造されたメダルは、十和田市の奥入瀬渓流館、青森市の青森近代文学館で見ることができます。
追記 奥入瀬渓流館のものは、その後、十和田湖畔の観光交流センター「ぷらっと」に移されました。