7/20(日)、十和田をあとにして、青森市の青森県立図書館に行って参りました。
こちらには、青森県近代文学館も併設されており、時間があればゆっくり見たかったのですが、今回は図書館での調査だけにしました。いずれまた行こうと思っております。
図書館での調査も、事前に目星を付けておいた、青森県関係の資料だけにしました。それでも、「大漁」と言っていい成果でした。
まず、昭和28年(1953)、十和田国立公園功労者顕彰会編『十和田記念碑』という冊子。光太郎作の「十和田湖畔の裸婦群像」(通称「乙女の像」)の制作の報告書的なものです。
東京の北川太一先生のお宅や、花巻の高村光太郎記念会に寄贈された図書の中に あり、その存在は知っていましたが、入手するには至っていないものです。「経過報告」という詳細な年表などが載っており、実に参考になります。
それから、同じく昭和28年(1953)の地元紙、『東奥日報』。
『東奥日報』からひいたものとしては、筑摩書房の『高村光太郎全集』第19巻に、「視覚で変る群像」という講演筆録が掲載されていますし、当方編集の『全集』補遺作品集『光太郎遺珠③』に、「乙女の像」除幕前後のインタビューと談話を載せています。こちらは、以前、同館にレファレンス的に依頼して送っていただいたのですが、その前後の紙面をローラー作戦的に当たろうと思って、見て参りました。
結果、新たに光太郎談話を一篇見つけましたし、「視覚で変る群像」と同じ時の佐藤春夫、菊池一雄、谷口吉郎の講演の筆録も見つけました。また、除幕前後のいろいろな関連報道も、興味深いものでした。そしてそれらに付された写真。
右の画像は、「乙女の像」制作の際にモデルを務めた藤井照子です。記者の求めに応じ、「乙女の像」のポーズを取って、写真におさまっています。これなどは、初めて見るものでした。
このあたりの調査の結果は、十和田で刊行される「乙女の像」建立60周年記念誌的なもので、当方の担当する部分に生かしたいと考えております。
青森県立図書館以外に、十和田湖でも、いろいろな資料を入手しました。明日はそのあたりをご紹介します。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月22日
平成2年(1990)の今日、茨城県近代美術館で開催されていた「高村光太郎・智恵子 その造型世界」展が閉幕しました。
この年4月から、呉市立美術館、三重県立美術館と巡回してきたもので、茨城展が最終でした。光太郎関連の企画展の中で、出品点数の多さ、充実度で、空前絶後の企画展でした。当方、この時初めて見た作品もかなりあり、圧倒された記憶があります。
昨年、当方も関係した「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展が、千葉市立美術館、岡山井原市立田中美術館、愛知碧南市藤井達吉現代美術館を巡回しましたが、この際に展示したいと思いながら果たせなかった彫刻も、平成2年の企画展に並びました。また、「造型世界」と冠したため、彫刻に限らず、絵画や書も多数出品されました。