昨日から、1泊2日で青森は十和田方面に行って参りましたので、レポートいたします。
過日のブログでご紹介しました「十和田湖湖水祭り」、さらに、通称「乙女の像」建立60年を経たということで、記念誌などが刊行されることが本決まりになり、十和田市役所の方、観光ボランティアの方々と、その打ち合わせも兼ねての十和田行きでした。
昨日、東北新幹線はやぶさにて、13時53分に七戸十和田駅に着き、十和田市役所の山本氏の車で、十和田方面を目指しました。山本氏のご家族(美人の奥様、元気いっぱいの小6と小1の息子さん、お嬢さん)も一緒でした。山本家の皆様には、非常にお世話になりました。
まずは十和田市街で、昨日のブログでご紹介した、「看板アート」を見学。
続いて蔦温泉。明治の文豪、大町桂月ゆかりの地です。十和田湖畔の裸婦群像、通称「乙女の像」は、もともと、十和田の景勝のすばらしさを広く世に紹介した大町桂月、道路整備等に腐心した元青森県知事の武田千代三郎、旧法奥沢村(現・十和田市)村長の小笠原耕一の三氏を顕彰するためのものです。そこで、光太郎も昭和27年(1952)に十和田に制作の下見に来た際に、蔦温泉を訪れ、ここにある桂月の墓に詣でています。
今年2月に十和田に行った際にも、こちらを訪れたのですが、一軒宿の旅館は休業中、大雪で大町桂月の墓はたどりつけないという状況でした。今回はリベンジです。
旅館はやはり光太郎が1泊している、その頃の建物で、いい感じでした。
桂月の墓は、苔むした林道を歩いて行った先にありました。
次に、奥入瀬渓流館へ。こちらで1時間ほど、十和田市役所の皆さん、観光ボランティアの皆さんと、打ち合わせを行いました。通称「乙女の像」60周年記念誌、いいものができそうです。
館内には、先月、日本テレビ系列でオンエアされた「遠くへ行きたい 旅人 竹下景子「奥入瀬の森と湖に遊ぶ 青森県十和田湖」」ロケの際のスナップ写真なども飾ってありました。
その後、奥入瀬渓流を通って、十和田湖へ。当方は、宿泊先の十和田湖山荘さんでいったん降ろしていただき、チェックインと夕食。山本氏一家は先に十和田湖畔の湖水祭り会場に行かれました。
夕食には、最近、B級グルメとして脚光を浴びている「十和田バラ焼き」もつけてもらったので、かなりのボリュームで、大満足でした。もちろん、十和田湖特産のヒメマスも膳に上りました。
1時間後に、再び山本氏が迎えに来て下さり、十和田湖畔へ。綜合案内所で、2月にもお世話になったベテランボランティアの吉崎明子さんと合流、乙女の像目ざして歩きました。午後7時、夕闇の十和田湖に、遊覧船のイルミネーションが幻想的でした。
ただ、我々が湖畔にいた間には雨は降りませんでしたが、この日は昼間から降ったり止んだりの天気だったため、例年より人出がかなり少なかったそうです。その分、車の渋滞等には成らずに済みましたが。
午後8時から、花火。ライトアップされた乙女の像の前で、たっぷりと堪能しました。当方のガラケーでも写真は撮りましたが、やはりストロボがついていないため、あまりきれいに撮れませんでした。そこで、この写真のみ、山本氏から戴いたデータを使わせていただきます。
すばらしいですね。
花火の終了後、ホタルがいるというので、吉崎さんの案内で、湖畔の原生林に。ところが、残念ながら、この日は遭遇できませんでした。どうも花火の光や音で、おびえているのではないかとのことでした。
吉崎さんとは湖畔で、山本氏ご一家とは、十和田湖山荘の前で、それぞれお別れし、ゆっくり温泉につかって休みました。
24時間入れる熱めの温泉、こぎれいな部屋、手頃な料金、なかなかでした。
明日は2日目(7/20)についてレポートします。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月20日
明治19年(1886)の今日、光雲が龍池会主催第7回観古美術会に「蝦蟇仙人」を出品しました。
「光雲」の名での初の展覧会出品でした。このあたりの技倆を買われ、光雲は翌年に皇居造営事務局に白羽の矢を立てられ、皇居内の装飾彫刻を手がけることになります。