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そんな中、競馬関連のニュースがヒットしました。

イーグルカフェ復活の舞台、七夕賞 馬じぃの継続は非力なり

(2014/07/12 『夕刊フジ』)
 
 ローカル競馬の重賞、特別レースのネーミングには、その土地、季節ならではの味のあるものが多いが、なかでも馬じぃは「七夕賞」が一番好きだ。暦に合わせたのだろうが、福島だからいい。東京には空がない、ほんとの空は安達太良山の上の空だと、智恵子が言った福島の澄み切った青い空。暮れたあと、七夕伝説の天の川を仰ぐ場所も、福島が日本一だと思う。

 今年はあいにくの天気で、七夕当日は星も見えず、レースも暦より1週遅れになったが、同じ日に織姫賞、彦星賞を並べるあたり、JRAもなかなか遊び心がある。ついでに、当日は、この3レースの1着を当てる「七夕3重勝」でも売ったらもっと盛り上がりそうだが。

 で、過去の七夕賞馬を振り返ると、こちらはやはりローカル重賞、いかにもという名前が並び、4年前など、ドモナラズなんて人を食った馬名が刻まれている。

 そんななかで目を引くのが2002年のイーグルカフェだ。3歳時の2000年にGIのNHKマイルC優勝、古馬相手に安田記念、天皇賞・秋、ジャパンCにも挑んだ早熟型戦歴の持ち主だったが、そのあとは長く勝てず。2年余を経たこの七夕賞も評価は今ひとつだったが、直線一気に差し切って復活のノロシをあげた。

 さらに鮮やかな復活劇は、海外遠征を挟んだ11月のジャパンCダート優勝だ。世界の名手・デットーリの好騎乗もあって、アドマイヤドン、ゴールドアリュールといった名だたるダート強者を退けて優勝した。生涯46戦してわずか5勝だったが、うち4勝は芝とダートの両GIなど重賞のみという、一発屋でもあった。美浦・小島太厩舎所属、勝った騎手は田中勝、岡部、デットーリの3人。父ガルチの外国産馬で、3年前に韓国へ輸出され、彼地で種牡馬生活を送っている。

 さて、この週末は台風一過、福島の青空の下で行われそうな七夕賞、うーん、やはりいかにもというローカル巧者が顔を連ねた。馬場が完全に乾くかの問題もあり、ここは福島巧者、2000メートルも得意な上原コンビ、(3)ダイワファルコン、(7)マイネルラクリマを両軸にして狙う。本来は人気になるコンビだが、トップハンデ58キロが嫌われそうなので、あえて裏の裏張り。

 
「馬じぃ」というのは、品川達夫さん。「昭和44(1969)年、夕刊フジ創刊と同時に競馬欄を手掛け、デスク兼記者・予想家として約20年間紙面を汚す。その後、別のジャンルで新聞記者を務めながら競馬は続け、気がつけば「馬じぃ」に。」だそうです。
 
「七夕賞」は、日本中央競馬会(JRA)が福島競馬場の芝2000メートル で施行する重賞競走(GIII)の名称。今年は一昨日の13日に行われました。結果はこちら
 
競馬の記事が、光太郎智恵子にからむとは思っていませんでした。
 
しかし、いろいろ調べてみると、これだけではありませんでした。
 
今週19日(土)には、やはり福島競馬場で「安達太良ステークス」というレースがあります。テレビ放映も入っています。
 
こちらは特別レースという位置づけです。特別レースの名称は、開催競馬場のある地域の地名等を冠することが多いので、福島で安達太良はあり得る名前ですね。他に「猪苗代特別」「郡山特別」「鶴ヶ城特別」などもありました。
 
さらに、日本中央競馬会(JRA)所属の競走馬にも、光太郎智恵子がからむ名前の馬がいます。その名も「トゥルースカイ」。いい名前ですね。
 
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JRAさんのデータによると、

馬名意味本当の空。父名と詩集「智恵子抄」に出てくるフレーズより
とのこと。父は「ディープスカイ」です。
 
ただ、生まれは北海道のヒカル牧場、滋賀栗東の領家政蔵厩舎所属ですので、福島と直接の関係はなさそうです。あまりいい成績は挙げていないようですが、がんばってほしいものですね。
 

【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月16日
 
昭和14年(1939)の今日、詩「亡き人に」を執筆しました。
 
雀はあなたのやうに夜明けにおきて窓を叩く003
枕頭のグロキシニヤはあなたのやうに黙つて咲く
 
朝風は人のやうに私の五体をめざまし
あなたの香りは午前五時の寝部屋に涼しい
 
私は白いシイツをはねて腕をのばし
夏の朝日にあなたのほほゑみを迎へる
 
今日が何であるかをあなたはささやく
権威あるもののやうにあなたは立つ
 
私はあなたの子供となり
あなたは私のうら若い母となる
 
あなたはまだゐる其処にゐる
あなたは万物となつて私に満ちる
 
私はあなたの愛に値しないと思ふけれど
あなたの愛は一切を無視して私をつつむ
 
 
筑摩書房刊『高村光太郎全集』の第1巻から第3巻は、詩の巻で、制作年代順に掲載されています。昭和14年(1939)といえば、智恵子が歿した翌年。太平洋戦争まではまだ間がありますが、すでに日中戦争は膠着しています。
 
この前後を読むと、のちに光太郎自身「変な方角の詩」と評した空虚な戦争詩(なぜかそれが光太郎詩の真髄だ、的なとんでもない勘違いをしている困った愚か者どもがいますが)が、既に乱発されており、痛々しい思いに包まれます。
 
そうした中で、こういう珠玉の詩篇が散見されるというのは、光太郎が人間性を失っていない証左ととらえたいものです。