株式会社花美術館発行のアート雑誌『花美術館』の最新号です。
 
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特集は陶芸家の北大路魯山人ですが、後半の「現代作家――美覚と眼力」というコーナーで、青森在住の彫刻家、田村進氏の近作「冷暖自知光太郎山居」が4ページにわたり紹介されています。
 
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氏は昭和28年(1953)、十和田湖畔の裸婦群像除幕のため青森を訪れ、その後、野脇中学校で講演を行った光太郎とお会いになったことがあり、その偉大さに打たれたお一人です。一昨年にはレリーフの光太郎肖像も作製されています。
 
作品名は「冷暖自知光太郎山居」。戦後、花巻郊外太田村で独居していた頃の光太郎の肖像です。「冷暖自知」とは「仏法の悟りは、人から教えてもらうものでなく、氷を飲んでおのずからその冷暖を知るように、体験して親しく知ることのできるものである。」(『広辞苑』)の意。大正元年(1912)作の光太郎詩「或る宵」に使われています。
 
   或る宵
 
 瓦斯の暖炉に火が燃える
 ウウロン茶、風、細い夕月

 ――それだ、それだ、それが世の中だ
 彼等の欲する真面目とは礼服の事だ
 人工を天然に加へる事だ
 直立不動の姿勢の事だ
 彼らは自分等のこころを世の中のどさくさまぎれになくしてしまつた
 曾て裸体のままでゐた冷暖自知の心を――
 あなたは此を見て何も不思議がる事はない
 それが世の中といふものだ
 心に多くの俗念を抱いて
 眼前咫尺の間を見つめてゐる厭な冷酷な人間の集りだ
 それ故、真実に生きようとする者は
 ――むかしから、今でも、このさきも――
 却て真摯でないとせられる
 あなたの受けたやうな迫害をうける
 卑怯な彼等は
 又誠意のない彼等は
 初め驚異の声を発して我等を眺め
 ありとある雑言を唄つて彼等の閑(ひま)な時間をつぶさうとする
 誠意のない彼等は事件の人間をさし置いて唯事件の当体をいぢくるばかりだ
 いやしむべきは世の中だ
 愧づべきは其の渦中の矮人だ
 我等は為すべき事を為し
 進むべき道を進み
 自然の掟を尊んで
 行住坐臥我等の思ふ所と自然の定律と相戻らない境地に至らなければならない
 最善の力は自分等を信ずる所のみにある
 蛙のやうな醜い彼等の姿に驚いていはいけない
 むしろ其の姿にグロテスクの美を御覧なさい
 我等はただ愛する心を味へばいい
 あらゆる紛糾を破つて
 自然と自由とに生きねばならない
 風のふくやうに、雲の飛ぶやうに
 必然の理法と、内心の要求と、叡智の暗示とに嘘がなければいい
 自然は賢明である
 自然は細心である
 半端者のやうな彼等のために心を悩ますのはお止しなさい
 さあ、又銀座で質素な飯(めし)でも喰ひませう
 
 
この詩は大正初年の作ですが、「冷暖自知」の語は、のち、太田村での農耕自炊の生活の中で、「為すべき事を為し/進むべき道を進み/自然の掟を尊んで/行住坐臥我等の思ふ所と自然の定律と相戻らない境地に至」らんとした光太郎の内面をよく表している言葉だと思います。
 
3ページ目の画像にある背部の銘は北川太一先生の揮毫です。
 
田村氏による<製作意図>から。
 
 現今の時勢だからこそ光太郎を知らしめたいとの強い想いで制作。北川太一先生から資料の提示を仰ぎ、光太郎へのオマージュにしたいとの決意で臨んだ。
 勿論力量不足は否めない事実であるが、一人でも多くの人々に高村光太郎の偉大さを伝えたいとの一念に押された。
 詩人、歌人、評論家、書家そしてなにより彫刻家を自認、標榜した作家であった。美術家はもとより特に小学校高学年、中学生には人生の応援歌として詩『牛』を読んで欲しい! 加えて文芸評論の全てや、十和田湖休屋の『乙女の像』には日本民族の精神の指針、人生への示唆が溢れているのを確認して欲しい。

「牛」はこちらをご覧下さい。
 
『花美術館』、amazonなどから購入可能です。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月1日無題
 
昭和22年(1947)の今日、雑誌『展望』に連作詩「暗愚小伝」が掲載されました。
 
「戦争責任」を柱に、幼少期からの自らの来し方を20篇の連作詩にまとめたもの。光太郎、一つのターニングポイントになった作品群です。
 
これ以前の太田村での農耕自炊は、「文化集落の建設」といった無邪気な夢想ともいえる部分がありましたが、「自己流謫」=自分で自分を流刑に処する、という方向に変わっていきます。
 
まさしく「冷暖自知」の境地に入って行くわけです。