渋谷東急さん8階美術ギャラリー。今年4月には「秀作彫刻展」なる展示即売会を開催しましたが、現在、以下が開催中です。  

佛像の美 展

会場 東急百貨店渋谷本店 8階 美術ギャラリー  渋谷区道玄坂2-24-1
会期 2014年6月26日(木)~7月2日(水)
時間 10時~19時 最終日は17時閉場
 
心穏やかに安心できる喜びを仏像の美しさの中に求めた意欲作の数々を一堂に集め、展示販売いたします。
 
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光雲の師・高村東雲の作品が出品されています。
 
高村東雲は本名・奥村藤次郎。文政9年(1826)、下谷北清島町の生まれ。江戸末期の仏師です。
 
その系譜をたどってみましょう。将軍家ご用達の仏師・七代幸慶門下の法眼・高橋鳳雲のもとで11年の修行を積み、独り立ちの際に、師の姓名から「高」と「雲」、自身の姓から「村」、本名の「藤次郎」の「藤」を「東」に換え、高村東雲を名乗りました。師の高橋鳳雲は安政5年(1858)に歿しています。
 
したがって、光太郎家系の高村姓はここから始まったわけで、それほど由緒が深いわけではありません。
 
光太郎の父・光雲は本名・中島光蔵。文久3年(1863)に東雲に弟子入りしました。かの新選組が結成された年です。当時の慣習に従って、光雲も11年の修行を積み、明治7年(1874)に独立します。ほぼ同時に徴兵忌避のため、師・東雲の姉・悦の養子になり、高村姓となりました。
 
当時の徴兵令では、長男は徴兵免除。光雲には大工となった異母兄がおり、徴兵対象でしたので、養子縁組がなされたのです。
 
東雲はその後、明治12年(1879)に歿。没後、東雲の号は直系の子孫に受け継がれていき、三代目東雲が晴雲と号を変え、さらに二代目晴雲に受け継がれました。
 
その初代東雲の作品が渋谷東急の「佛像の美 展」に出品されています。光雲の識(鑑定)が入っているとのこと。ぜひご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月29日無題
 
昭和55年(1980)の今日、赤坂のサントリー美術館で開催されていた「近代芸術家の書」展が閉幕しました。
 
光太郎を含む50余名、約200点の作品が並ぶ大規模な展覧会でした。
 
光太郎作品は「うつくしきもの満つ」「蟬のうた」「リンゴ畑に」「太田村山口山の……」「有機無機帖」、さらに彫刻「手」。
 
夏目漱石、森鷗外、樋口一葉、横山大観ら、並み居る諸先輩方をさしおいて(笑)、光太郎の書が図録の表紙を飾りました。