去る15日の日曜日に、二本松の「智恵子のまち夢くらぶ」の皆さんとともに、光太郎ゆかりの地・宮城女川を訪問しました。
その際のレポートに書きましたが、『朝日新聞』さんの宮城版に記事が載りました。で、昨日、記事を書かれた石巻支局の小野智美記者から当日の『朝日新聞』が届きました。
以前にも書きましたが、ネットで見るのと、実際に新聞の紙面で見るのとでは、感じが違いますね。
それから、「智恵子のまち夢くらぶ」の熊谷代表からは、集合写真を送っていただきました。
背景は女川港。小山ができていますが、ガレキではありません。この一帯は1メートル以上地盤が沈下しているとのことで、これを使って水際のかさ上げ工事を行うための資材です。
まだまだ東北は復興途上。ご理解とご支援をよろしくお願いいたします。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月24日
昭和18年(1943)の今日、千葉三里塚に住む親友の水野葉舟に手紙を書きました。
ミッドウェー海戦の大敗から1年、前月には山本五十六連合艦隊司令長官が戦死し、アリューシャン列島のアッツ島で日本軍守備隊が総員玉砕、翌月には日本本土が初めて空襲を受けるなど、敗色濃厚となっていた時期です。
同時に物資欠乏も進んでいた時期で、71年前の今日の手紙も、そうした世相を反映しています。
今朝「食べられる野草」下巻ありがたくいただきました。一通り皆実験してみようと思つてゐます、
「食べられる野草」は葉舟の著書。月明文庫の一冊として、上巻は前年に、下巻はこの年5月に刊行されています。