土日で宮城女川を中心に動き回って参り003ました。昨日はメインの女川についてレポートしましたが、今日はその前後について書きます。
 
6/14(土)、東北へ向かう道すがら、まずは千葉県柏に立ち寄り、NPO法人エアロームかしわさん主催の公開講座 「光太郎と智恵子の愛」に参加して参りました。
 
会員の方々の勉強会的なおもむきで、一般の方も参加自由、というスタンスでしたが、会員外は当方のみ、全員で0057名でした。そのくらいの人数だろうと
ある程度は予想していましたし、そういう中に当方のような者が混ざるのも迷惑かな、とは思っておりましたが、やはり「光太郎智恵子」と冠したイベントがあると引き寄せられてしまいます(笑)。
 
いつも同じようなことをあちこちで言ったり書いたりしていますが、どんなに優れた芸術家、芸術作品でも、後世の人間がその業績なり作品なりをしっかりと正しく受け止め、さらに次の世代へと受け継ぐ努力をしなければ、やがて歴史の波に埋もれ、忘れ去られてしまうものです。そういう意味では、こうして市民の方々がこうした講座で光太郎智恵子について勉強されるというのは、ありがたいかぎりです。
 
その後、一路、福島は二本松へ。
 
翌朝7時に旧安達町の智恵子の生家・記念館の駐車場からバスで女川に出発ということで、前泊しました。普段、二本松宿泊の際には安達太良山麓の岳温泉に泊まることが多いのですが、旧安達町までは少し遠く、7時出発ということで、智恵子の生家・記念館にほど近い「かねすい 智恵子の湯」さんに泊まりました。
 
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以前に昼食に立ち寄ったことはありましたが、宿泊は初めてでした。なかなかこぎれいな部屋で、鉄分多めの茶色い鉱泉もいい感じでした。窓を開けると智恵子の母校・油井小学校が見えました。
 
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翌朝、7時に「智恵子のまち夢くらぶ」の皆さんと共にバスに乗り込み、女川へ。女川のレポートは夢くらぶさんのサイト、それから昨日の当ブログをご覧下さい。
 
女川を出たのが正午近く。塩竃の大入寿司さんに寄って昼食。美味でした。
 
その後、仙台へ向かい、まず仙台文学館さんに。現在、企画展「仙台文学館・開館15周年記念特別展 石川啄木の世界~うたの原郷をたずねて」が開催中です。企画展といえば、こちらでは平成18年に「高村光太郎・智恵子展―その芸術と愛の道程―」を開催して下さいました。その時と、その後も調べ物で何度かお邪魔しましたが、久々の訪問でした。
 
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啄木と光太郎は与謝野夫妻の新詩社や『スバル』で顔見知り。ただ、それほど深い交友はなかったようで、直接、光太郎に関わる展示はありませんでしたが、それでも「新詩社同人名簿」「新詩社規則」、それから与謝野夫妻や北原白秋、吉井勇など、光太郎と縁の深い人物の資料も多く、興味深く拝見しました。
 
また、「銭形平次」シリーズの作者・野村胡堂に宛てた書簡類が数多く並んでいました。今年3月に岩手紫波町の「野村胡堂・あらえびす記念館」さんに行つたばかりなので、「ほう」と思いました。そのときのレポートにも書きましたが、胡堂の妻・ハナが、日本女子大学校で智恵子の二学年下にいて、テニス仲間。福島油井村の智恵子の実家に泊まったこともあるそうです。そんな縁で、明治43年(1910)に行われた、胡堂とハナの結婚披露では、智恵子が介添えを務めています。
 
続いて宮城県美術館さんへ。昨年1月、大雪の中、企画展「生誕100年 追悼 彫刻家 佐藤忠良展「人間」を探求しつづけた表現者の歩み」を観に行って以来でした。
 
現在は企画展「手塚治虫 × 石ノ森章太郎 マンガのちから」を開催中でしたが、時間の関係でそちらは割愛、常設展と別館の佐藤忠良記念館のみ観て参りました。
 
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新緑の中で観る忠良彫刻もいいものでした。
 
その後、二本松に戻り、解散。更に当方は愛車を駆って千葉の自宅に戻りました。強行軍でしたが、有意義な旅でした。
 
昨日も書きましたが、まだまだ東北は被災中。足を運ぶことも復興支援になります。よろしくお願い申し上げます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月17日
 
昭和22年(1947)の今日、連作詩「暗愚小伝」の原稿28枚を小包にし、発送しました。
 
自らの戦争責任に思いを馳せ、生涯を振り返った20篇の連作詩です。花巻郊外太田村の独居生活も、この「暗愚小伝」執筆以前は無邪気に文化村の建設みたいなことを考えていましたが、この頃から「自己流謫(るたく)」―自分で自分を流刑に処する―という方向に転換していきます。