大阪からイベント情報です。  

まちあるき「御堂筋は名彫刻の宝庫だ(東側コース)~グレコも高村光太郎も~」

御堂筋は日本が誇る名彫刻の宝庫であることをご存知ですか?「大阪あそ歩」で、じっくりと鑑賞歩きをしてみましょう、まず、御堂筋東側。ブールデルの妻の像「休息する女流彫刻家」と「腕を上げる大きな女」、グレコの「坐る婦人像」、高村光太郎の「みちのく」、ルノワールの(そう、あの画家の)「ヴェールを持つヴィーナス」、佐藤敬助お淀井俊夫も・・・・!!!美術評論家柳亮を父にして育った伊藤義麿が直接ご案内します。
 
<コース>
北から南へ。ブールデル~グレコ~中村晋也~高村光太郎~佐藤敬助~朝倉響子~桜井祐一~ブールデル~淀井俊夫~船越保武~メッシー~ルノワール~チャドウィック~(地下鉄心斎橋駅)
 
日 時 : 2014年5月20日(火) 13:30~
集 合 : 地下鉄御堂筋線淀屋橋駅北改札口前
所 要 : 約2~3時間
費 用 : 1500円(小学生以上)※集合時に支払い。お釣りのないようにしてください。
定 員 : 15名
問合せ先 大阪あそ歩委員会050-3672-8327(申込専用、平日13時-17時)
申込方法 ホームページから
 
大阪市の中心街を通る御堂筋には、「御堂筋彫刻ストリート」ということで、内外の彫刻作品が多数展示されています。今回のイベントは、その東側の彫刻を観て廻る、というもののようです。
 
光太郎の「みちのく」。これは十和田湖畔の裸婦群像のための中型試作(昭和28年=1953)です。他に一昨日の花巻高村祭でご講演なさった末盛千枝子さんのお父さま、舟越保武の作品「道東の四季 春」も入っています。
 
また、今回は御堂筋東側だけのようですが、西側にはロダンや佐藤忠良など、やはり光太郎と縁の深い彫刻家の作品も並んでいます。ぜひ一度、足をお運び下さい。
 
ちなみに御堂筋の彫刻といえば、3年前、一夜にして19体の彫刻にそれぞれ測ったようにぴったりの赤い服が着せられる、という「事件」がありました。

誰が何のため…一夜で銅像19体に赤い服

2011年7月27日 スポニチアネックス
 
大阪市の目抜き通り、御堂筋の歩道に設置されたブロンズ製の人物彫刻29体のうち19体に、洋服をかたどった赤い布が着せられる不可思議な現象が起きた。24日夜から25日未明にかけての数時間で何者かが取り付けたとみられる。“真夏の浪速のミステリー”に市の担当者は「何の目的があってのことか、さっぱり分かりまへん」と戸惑いを見せている。

 御堂筋はキタ(梅田周辺)とミナミ(難波周辺)の2大繁華街を通るメーンストリート。市は92年以降、淀屋橋交差点から心斎橋交差点の間に文化・芸術面のモデルとして銅像設置を進めてきた。現在はロダン作「イヴ」や高村光太郎作「みちのく」など29体が並ぶ。これらの一部に何者かが一夜のうちに“赤い服”を着せた。

 19体は約1キロの間に並んでいる。それぞれ胴や肩の部分をビニールひもで縛られ、ワンピースやドレスなどに見えるように形を整えて、体形にフィットするように寸法も合わせてあった。

 市によると25日午前9時ごろ、通勤中の人から通報を受けた。市は、いたずらとみて大阪府警東署に事実関係を伝えた。彫刻本体に傷や破損、落書きなどはなかったため、被害届は提出していない。

 市はその後、3人がかりで約1時間かけて布を撤去。彫刻を管理する市計画調整局の開発調整部都市景観担当課は「最初はきちょうめんに脱がせていたがうまく脱げないので、途中でカッターを買って裂いた。それでも1時間かかったので、着せた人はだいぶ手間がかかったんちゃいますか」と話す。

 誰が、何のためにやったのかは不明。同課は「大阪のいたずらにしてはオシャレですわな。正直意味がよう分からん」。標的になった19体はすべて女性像でもなく、残り10体の中にも女性像はあることから「何の基準で19体を選んだのかすら分かりません」と首をひねるばかり。

 同課によると過去、スプレーなどによる落書き被害などがあったほか、今年4月には銅像1体が台座から切り離されて歩道に放置される事件があった。ただ、「今回のように像自体に害がないのは初めて」という。目撃者もおり「何かのイベントでやってるのかと思った」と話している。

 ≪平松市長「罪問わないので名乗り出て」≫大阪市の平松邦夫市長は26日の記者会見で「罪は問わないので、どういう人たちがやったのか知りたい」と“犯人”に名乗り出るよう呼び掛けた。「怒られるかもしれないが、現物を見たかった」とも述べた。赤い布を着せた行為については「何かメッセージがあるように見える。たぶん単独では無理」と推理。「毎回この彫刻がキャンバスになると思われるのは困る」とした上で「(市は)ほかにもアートなどのやり方(場)を用意している。そこで一緒にやりませんかと言いたい」と語った。
 
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この「事件」、その後どうなったのでしょうか。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月17日

昭和17年(1942)の今日、日本文芸家協会が解散しました。
 
太平洋戦争まっただなかです。他にも文筆家の団体がたくさんあったのですが、軒並み解散し、光太郎が詩部会会長となる日本文学報国会に吸収されて行きます。「バスに乗り遅れるな」という合い言葉があったそうです。美術関係も美術報国会という団体に一元化されるなど、どんどん国民総動員の動きが加速していきました。恐ろしい時代です。