昨日、岩手花巻で行われた第57回高村祭をレポートします。
 
夜行高速バスで花巻駅前に着いたのが朝6時30分過ぎ。駅の売店で買ったパンとコーヒーで朝食。タクシーで会場の高村山荘―昭和20年(1945)から同27年(1952)まで光太郎が暮らした山小屋―に向かいました。会は10時からなのですが、早めに行って周辺散策、それから敷地内の高村光太郎記念館を観ようと思った次第です。
 
東北北部もようやく新緑の季節となり、昨日は光太郎関連のイベントにしては珍しく雨も降っておらず、いい感じでした。記念館のかたわらの山桜はまだ花を付けていました。
 
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会場の設営を終えて、いったんお帰りになるという花巻高村光太郎記念会事務局長の高橋氏、山口支部の浅沼さんなどにご挨拶、その後、周辺を歩きました。
 
山荘の向かって右手は光太郎が使用していた便所ですが、「月光殿」という洒落た名前が付けられていたものです。明かり取りのために「光」一字が壁に彫りつけられています。
 
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裏手に回ると、中からの様子が見えるようにしてありました。以前はこうなっていなかったので、興味深く拝見しました。
 
記念館は8時30分開館ですが、少し前に入れていただき、お茶まで戴いてしまいました。ショップでは、復刊された花巻版『高村光太郎詩集』も並んでいました。
 
そうこうしているうちに参会の皆様が集まり始め、当方も会場に移動。会場はやはり敷地内の「雪白く積めり」詩碑前の広場です。もともと第1回の光太郎祭(昭和33年=1958)は、この詩碑と山小屋の套屋(とうおく=建物全体のカバー)落成記念を兼ねて開かれたという経緯があり、ここが伝統的に会場になっています。
 
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さて、開会。献花、献茶、参会者全員による「雪白く積めり」朗読、主催者挨拶と続き、これも伝統的に、地元の小中高生、花巻高等看護専門学校生徒の皆さんによる朗読や器楽合奏、合唱などが行われました。
 
小学生の器楽合奏は、もともと光太郎が旧山口小学校に楽器を寄附したことに由来します。おそらく初期の高村祭ではその光太郎寄附の楽器が使われていたと推定されます。

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その後、特別講演。講師は光太郎と交流のあった彫刻家、故・舟越保武氏のご令嬢、末盛千枝子さん。講師紹介で「ご令嬢」と紹介されると、ご来場の末盛さんのお友達の皆さんが非常にウケていました。
 
当方、昨秋、東京代官山でのイベントで末盛さんのお話を伺いましたが、その折りのお話プラスアルファで、興味深い内容でした。やはり直接光太郎をご存知で、家族ぐるみ光太郎と縁のあった方のお話ですので、そうでない方のお話とは違います。
 
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右上は終了後のサイン会の様子です。
 
その後、お昼の弁当を戴いて、さらに当方は記念会スタッフの方と記念館改修についての打ち合わせ。現在は手前の展示スペースのみを使っていますが、その奥のスペースを使い、倍近い広さになるとのことで、図面を見ながら現場を拝見しました。1年後には新規オープンの予定ですが、今年就任された新市長の方針で、地元の皆さんの声も反映させていくとのことです。当方もまた関わらせていただきます。
 
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その後、末盛さんともども山荘内部に特別に入れていただきました。2年ぶりに中に入りましたが、やはり感慨深いものがありました。
 
そして花巻駅まで送っていただき、千葉へと帰りました。
 
高村山荘、記念館、新緑の美しい季節です。ぜひ足をお運び下さい。来年には記念館改修完了の予定ですし、また第58回高村祭もあります。そちらもよろしくお願い申し上げます。
 
昨年運行され、好評だったレトロジャンボタクシー「あったかいなはん花巻号」、今年も運行されています。そちらについてはまた日を改めて書きましょう。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月16日

昭和25年(1950)の今日、花巻の寿デパートで開催されていた「智恵子遺作切抜絵展」が閉幕しました。
 
戦時中、焼失を懼れ、光太郎は智恵子の紙絵を山形、茨城取手、そして花巻の三ヶ所に分けて疎開させていました。そのうち花巻にあったものの中から作品を選択、この展覧会が開催されました。
 
チラシ、パンフレット等お持ちの方、あるいはここに保管されている等の情報をお持ちの方は、お知らせ願えれば幸いです。