東京渋谷の東急百貨店本店で、昨日から下記のイベントが始まりました。
秀作彫刻展
会 場 : 東急百貨店渋谷本店 8階 美術ギャラリー 渋谷区道玄坂2-24-1
会 期 : 2014年4月24日(木)~30日(水)
時 間 : 10時~19時 最終日は17時閉場
木のぬくもりを十分に活かした木彫やブロンズ像などを一堂に集め、展示販売いたします。
展覧会、というより展示即売会です。
上記画像にあるとおり、光雲の木彫「阿倍仲麻呂」が出品されています。税込み864万円……。光雲の真作であれば、このくらいの値段はつきます。ただ、何をもって真作とするか、というと微妙な問題をはらみます。
光雲には弟子が多数いました。山崎朝雲、米原雲海など、のちに大成し、有名になった弟子もたくさんいましたし、無名のまま終わった弟子はそれ以上に多かったと思われます。
ちょっと変わった所では、昭和11年(1936)に猟奇的な殺人事件をおこして世間の耳目を集めた、かの阿部定のヒモだった女衒・秋葉正義も一時期ではありますが、光雲の元で木彫を学んでいたとのこと。
そうした無名の弟子はなかなか生活が苦しく、その援助のため、ほとんど弟子が作った作品の仕上げだけを光雲が行い、「光雲」のクレジットを入れてやったこともあるというのです。そうすることによって、市場価格が上がる仕組みです。もちろん、光雲がその上乗せ分をピンハネしていたわけではなく、弟子の実入りにしてやっていたわけです。
そうした弟子の手がほとんど入っていない作品の場合、「高村」でなく「高邨」と銘を入れたらしいという説もあります。
といっても、光雲生前には、作品の値段もそれほどではなかったようです。光太郎の回想によれば、光雲は「1日の手間賃がいくら、この作品は何日かかったからいくら」という計算で価格を決め、それもたいした値段をつけなかったといいます。曰く「俺にゃ、そう高く取る度胸はねえ」と、江戸っ子の職人の気概を終生持ち続けたとのこと。
ところが、客との間に入る商人がマージンを高く取ることがあったそうで、光雲歿後にはそうした美術商が何軒かつぶれたという話も残っています。
さて、864万円……。泉下の光雲は苦笑しているのではないでしょうか。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月25日
昭和23年(1948)の今日、花巻郊外湯口村(現・花巻市)の円万寺を来訪、一緒に奉納の神楽を見物しました。
当時、円万寺には、チベットで修行した経験を持つ僧・多田等観が疎開していて、親密に交流しており、光太郎の暮らす太田村山口の山小屋から5㎞以上ありましたが、ときおり行き来していました。
円万寺は小高い山の上にあり、登っていくのは大変です。光太郎もこの日の日記に「観音山正面の石段をのぼる。くたびれる。」と記しています。
ただ、それだけにここから見るながめは絶景です。下記は花巻市観光協会さんのページから拝借しました。